子供を失ってー7か月の心模様

2007年8月

私は7か月間ただただ生きてきた。
突然の起きたことにたいして体もこころもついて
いかない状況だったのでそのような表現が適しているかと思っている。

自分が呼吸がおかしくなるほどの胸の苦しさや悲しさを
感じながら過ごして、日が経つごとに大きな悲しみの波、小さな悲しみの波
が少しずつその差が縮まっているかのよう。

大事にていた仲間や友人も失った。
子供を亡くしたときの想い、
これは当事者にしかわからないことなので
しかたないと思いながらも
お互いに気持ちがあれば何をしなくても
おそらく伝わるものなのではないかとも感じている。

最近になってやっと気持ちが落ち着いてきたと
言えそうなくらいになってきた。

息子の遺影に選んだ写真は
友人や仲間や家族に年賀状を送ったものと同じで
葬儀のとき急いで選ばなければならず
私たちはやっぱりその写真にすることにした。

これが去年の息子のいちばんの笑顔だった。
撮影日は旦那の誕生日で、最高の祝福だと話していた。

子供を亡くしたという事実は辛いけどその遺影の息子をみると
なんだか少し癒されるきもちがある。
不思議な感覚。
辛く寂しい気持ちと、ほっとする癒される気持ちを同時に感じる。

息子の重さ、髪のさわり心地、
だっこした感覚などはまだまだ薄れてはいない。

少し生活も落ち着いてきた分
家事や仕事へのプレッシャーを感じているけど。

いつまでに仕事をみつけようと目標を決めていたが
無理やり働くということはなにか違うとも感じていた。
息子を育てながら働くというイメージができあがっていて
いま仕事にたいしてすぐにみえる目標や先のイメージがなく、
働くことが頭もこころもうまく切り替わらない。

とりあず、短期的に仕事をできるところも
含めて探し、決まれば働き
資格も今後に向けてとっておくのもいいかなと思う。

ここ最近、自転車で買い物してた自分が
とてもさみしかった。

今まではずっと歩きで、べびーカーを
押しつつ、息子とともにいろんなところに行って楽しんでたから。

行くこと自体への抵抗は感じなくなたものの
環境の変化を感じると、いないという事実を実感していまい
ひとりではさみしい。


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