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那覇、開発、風景

十日ほど、那覇に滞在していた。

遅々として進まない、というよりか、まったくもって定まらない自分の研究についてしっかりと考える時間と場を求めて、大学院での授業の課題や書かなければいけない原稿を抱えながら沖縄にとにかく来たものの、原稿の〆切に追われてロクに自由に動くことができず(あとは知り合いと飲んだくれていた)、大半の時間を那覇周辺で過ごしていた。

久々に訪れた那覇の土地でまず目につくのは至る所で行われている建設工事の様子であり、最近新たに建てられたと思われるマンションやホテルの多さである。街を歩けば、ふと気づくと工事の音が聞こえてきていたりする。大した距離もまわっていないにもかかわらず、そうしたことが嫌でも見聞きできてしまう。

もしくは、こじゃれたカフェが妙に増えたように思う――いや、嫌いではないのだが。

猫たちが気ままに歩く桜坂などには、映画館である桜坂劇場の隣に巨大な高層ホテルができていた。場違い、とはこのことかといいたくなる景色に、眩暈を起こしそうになる。実際、見上げていると本当にクラクラしてきてしまう。そこだけが、異様にとびぬけている。しかし、その場所からかき消されていった記憶が、どれほどあったのだろうか。

僅かな範囲しか回っていないにもかかわらず、那覇に拡がっている光景には、ジェントリフィケーション、というあの言葉が十分すぎるリアリティをもつことを知る。破壊的な資本が街を、そしてたぶん島全体を取り囲んでいっている。北部にUSJができるとすれば、なにが変わるのだろうか。

岡本恵徳が2005年に残した文章の一節に、新都心として開発されたおもろまち駅周辺の景色の変化について綴られたものがある。そこで岡本は戦後沖縄の風景の象徴を米軍基地ではなく、かつて米軍の住宅地であったその新都心の開発のありように見ている。

基地と開発は地続きであり、同じ地平において存在するだろう。軍事化は姿かたちを変えて、社会を侵食していく。軍事化の次には新自由主義、ジェントリフィケーション。というよりは、それはもうとっくの昔に始まっていることだろう。

これらの事態を考える上では、十年近く前の文章だが、土井智義「〈基地〉の現在進行形 那覇新都心を批判的に考える」(DeMusik Inter.編『音の力 沖縄アジア臨界編』2006)があって、すばらしい論文である。

しかし、それから、およそ十年だ。