友達について
今日は私の友達について書いてみようと思います。
結論から述べると、私は友達がとても少ないです。それでも今「友達」と呼べる人は全員どこかで楽しいことと辛いこと、喧嘩することを経験してきた同志のような存在であることが言えます。
ゆっくりと自分が「友達」という存在に対してどう考えているのかを書いていきたいと思います。
私が最初に友達を作るのに苦労したのは小学校低学年の時でした。どちらかと言えば体育会系の雰囲気だったクラスでは地味で鈍臭い子供として、周囲にからかわれることが多く母親に「学校に行きたくない」とこぼしていたことを思い出します。無理に入ったグループでもまさに「金魚のフン」といった具合で後ろでヒョロヒョロすることしか出来ませんでした。
このことが大きく変わったのが小学校3年生でのクラス替えです。私はここで最初の「友達」Mちゃんと出会いました。彼女と仲良くなった経緯は余り覚えていません。気が付いたらずっと一緒に過ごして、流行りという物を知らなかった私に色々なことを教えてくれました、私が興味を持たなかったのは別として。
彼女が教えてくれたことは「友達といるって楽しいこと」と「思ったことはストレートに言うこと」でした。私はこの辺りから随分とお喋りで活発な人間になったと思います。
悲しいことに小学校を卒業するとMちゃんと再度一緒のクラスになることはありませんでした。しかし彼女は今でも唯一の古い親友であり、年に数回のペースではあるものの仲良く続いています。
中学に上がり、新しいクラスでまた私には友達が出来ませんでした。まるで小学校低学年の悪夢の再来でした。大きいグループの金魚のフンのようにくっついて話題や趣味嗜好、言動を合わせました。私は「必要な人付き合い」もあることを学びました。しかし私の空虚な努力は水の泡、最後は仲間外れに遭い、無視されたり、自分の行動のあれこれを辞めるように呼び出されて言われました。ある2月の寒い雨の日に駅前に呼び出されて、自分の行動を改めるように言われたことは、まるで「21か条の要求」を突きつけられた清国のように理不尽に感じました。私はこの日を境に、「学校で誰かと一緒にいる」ことを辞めました。「無理をして周りに合わせる必要は無い」そんなことを学びました。
悪夢は続きました。学年が上がり、クラス替えをした時には幼馴染のAちゃんと一緒になりました。とても喜ばしいことでした。しかしAちゃんはエキセントリックな人であり、私の行動や趣味嗜好を真似し初めました。我慢強い私のキャパはあっさりと超えました。私は彼女から距離を取り、同じクラスのSちゃんに助けを求めました。Sちゃんも私と似たような境遇を持ち、趣味や考え方が合い、同じ部活であることから既に打ち解けていました。しかしエキセントリックなAちゃんの私への執着はさらに強くなりました。悲しいことに先生は私の訴えに一つも耳を傾けてくれませんでした。
私の精神が限界に達した時、私はあるトラブルを起こしてしまいました。先生は当然被害者であるAちゃんの肩を持ち、私は責められ続けました。クラスメートはAちゃんと私の背景を知りながら誰一人として同情してくれる人はいませんでした、Sちゃんを除いては。当時の私の精神は限界でした。
私はこの一連があってから「友達」を作ることを辞めました。そして「友達」は信用するもんじゃないと決めました。
こんなことがあってから、私の友人は母校には5人くらいしかいません。SちゃんとMちゃん、それから中学時代にクラス内に友達がいない人同志で集まったSちゃん含めた3.4人。今でも彼女たちとは細々ながら付き合いがあります。不登校にならなかったのはあの人達がいたからです。
さて、この時にもう一つ支えとなったのが勉強でした。「勉強して良い成績をとれば、奨学金を使ってアメリカに留学出来る。留学がきっと私の将来を変える、今の状況を少しでも良くすることが出来る」と気がつきました。知識が最大で最強の武器になることを知り、必死で勉強しました。この頃から成績が常に10番以内に入るようになりました。
念願が叶い、私は1年間アメリカに留学をしました。留学中も基本的にある時は友達と過ごし、別の時は一人で過ごしました。ここには書きませんがホストファミリーと良い関係を築けませんでした。やはり「全面的に誰かを頼るより、自分で全てをこなした方がよっぽど早く、確実だ」と思っていました。
大学に入り、オーケストラ部に入部しました。私はここで本当の「友達」の意味を知りました。最初は他人行儀でよそよそしかった同期たち。知らない間に大学生活の8割以上を部活に捧げ、合宿や行事、演奏会など様々な経験を通して仲が深まりました。分かり合えない人がいること以上に、価値観を共有できる人がいること、胸中を語り、弱音を受け入れてくれる人がいることを知りました。そして自分一人のキャパには限界があり、その時には誰かに頼っても大丈夫だということを学びました。反対に自分に需要があれば、彼ら彼女らのためなら受け入れようと思いました。
一緒に心の底から笑ったり、苦労したり、演奏会という目標に向けて頑張ることがどれだけ辛いけど楽しいことか、素晴らしいことか!!学生生活を通してここまで感じたのは大学のオーケストラが最初でした。
私はオーケストラで「全ての人ではなくても、他人を信用して大丈夫なこと」と「信じ合えるようにバランスを取ること」を学びました。
「友達・親友」という言葉に対してまだ私は不信感が底から拭えた訳ではありません。長い付き合いをする友達は絶対に作らないと心に誓っていましたが、オケや大学生活で大きく変わりました。私の人付き合いの悪さには改善点があります。そこには「友達」を大切に出来るように自分も努力することがあります。でも、無理矢理付き合いをしていた中学時代に比べたらなんて楽なのでしょう。10年前に戻れたら「教室だけが全世界じゃないよ」と伝えてあげたいです。
最後に数少ない母校の3人くらいの友達、オーケストラで出会った友達、そのほか大体5人くらいの私の友達、気難しい私を受け入れてくれてありがとうございます。まぁ、所詮は他人ですが、何かあればそれなりの助言が出来ると思います。そして何かあれば頼らせてください。