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きこえるおと きくおと

こんばんは

noteをひらいて、さて、と考える日と
書きたいことが湧いてきてnoteをひらく日がある。

今日は、さて、の日。

風が吹いている音がする。寒そう。

私はあまりイヤホンをしない。
全く使わない訳ではないし、いいなと思う時もある。

でも、どちらかといえば耳を開放して、その場できこえる音を聴いていたいような気がする。

音楽はいつでも好きな時に私のタイミングで再生したり止めたりできるけど、
風の音とか、誰かの話し声とか(これは時に耳を塞ぎたい時もある)もあれば、夜道などは足音とかなにかしらの気配とかを受信しておきたい。

自分でコントロールできないもの、その時にしか流れない音を聴くことは予測不能のおもしろさに出会える入口にも思る。

ただのよくばりなのかもしれない。他のことでも間口を広げて情報を吸収したい。

自分の好きなものだけに囲まれる喜びも、
自分だけでは探しきれないものへの貪欲さも。

最近、犬の散歩中によく白バイがパトロールというか取り締まりをしているところに遭遇する。
白バイのエンジン音をもう少しで聴き分けられそうな気がしている。重厚な音。馬力のある良いエンジンがついてそうな貫禄を感じる。絶対捕まえるぞという圧はあっても、エンジン音をひとびとにきかせようとはしていない。俺様が走っているぞという主張あるバイクではない音。

もしくは、エンジン音とともに運転のクセ、エンジンのふかせ方も重なっているのかもなあ。
それは車もある。

夜間に道路を掃除してくれる大きな作業車が定期的に走っているのだけど、箒かな?の作業音プラス、運転のクセが強い。
Uターンする時とかなんだか独特のカーブの回転をしている気がする。その人のこだわりみたいなやつを感じる。わざわざ見に行かないけれど、たまに深夜に目覚めて、それが耳について眠れない時があった。最近はあぁ、また来てるんやなあって気にならなくなっている。

朝刊をポストに入れてくれる配達員さんの足音もかなり個性的だ。
顔は見たことがないけれど、人が変わると足音も変わる。前はダダダダダダーーーーーっと走ってはったけれど、今の人はゆっくり歩くから足音はほぼ聞こえなくて、コトンという音だけ。
そのかわり配達時間は早い。ゆっくりだから時間かかるもんね。

以前の職場で働いていた社員さんは、足音やドアを開けて入る間合いで誰かわかると言っていた。私まだそこまでの域には達していない。


じぶんの内側にだけきこえるおと、こえもありますね。


あと、静かな時間がひつようなのだ。

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