コロナ禍に於ける地下アイドル現場の変遷と振り返り

はじめに

特に何かあったとかお気持ち表明とかではなく、そういえばこんな時期もあったよね〜と自分のオタク歴と併せて回顧してみたくなったので書いただけの記事です。
こうやって顧みると2021年はみんな試行錯誤の中で激動の年だったなと。逆に2022,23年は記憶が薄い。笑
時系列や出来事などは結構曖昧になっている部分もあると思うので、間違いがあったら即刻教えてほしいです。


2020年1〜3月 コロナ前

前年末から新型コロナウイルスが武漢で発生し、年が明けて1月ぐらいから、日本でも罹患した人が現れたというニュースが騒がれ始めた。この時期はまだ社会全体で見ても、ここまで大ごとになると感じていた人はほぼ居なかったはず。

2月に入ると、そろそろコロナやばくね?という空気が世間的には少なからず蔓延しており、時の首相の安倍晋三氏が大規模イベントの自粛要請をした結果、2月26日にEXILEとPerfumeがドーム公演を急遽キャンセルしたり、逆に、東京事変が閏年の2月29日に合わせた東京国際フォーラムでのライブを強行し、批判を浴びると云った事件がメジャーアーティストのほうでは起こっていたが、地下アイドル界隈ではさほど気にされる事も無かったように思う。

3月になると、当時の職場でもマスクを着用するのが推奨されるようになった。地下アイドル界隈にも、この頃になるとのちのコロナ禍突入に向けての雰囲気は伝播しており、まだライブではマスクが必須というアナウンスは無く声出しやモッシュと云ったノリも平時の通り行われていたものの、グループやイベンターが各々の独自の判断で、特典会時にマスクの着用を求めるようになった。

当時の主現場であったヤナミューでは、特典会の参加時にアイドルもオタクも双方がマスクを着けるのが必須となった。3月2日のMIGMA SHELTERとのツーマンの様に、特典会自体の開催を見合わせた時もあった。
主現場でもないので詳しくは無いが、MIGMA SHELTERらが所属する事務所・AqbiRecはコロナ禍前〜初期の特典会に関してかなり慎重派だったように思う。
今考えると、この2020年3月の1ヶ月で地下界隈の情勢がめまぐるしく変わっていったと思う。地上アーティストの情勢がとっくに変化していたのに較べ、駆け込みで変わっただけかもしれないが。

3月13日になると翌4月7日からの緊急事態宣言の発令が決まり、下旬からライブハウスの営業休止やイベント自体の中止が相次いでいた。
そんな中で滑り込みで観た3月26日のリリカオが、自分の中でコロナ前に於ける最期のライブだった。

2020年4〜6月 閉塞

4〜6月は完全に世の中がコロナ禍で閉塞しており、ライブどころではないという流れが出来ていた。
多くのライブハウスは飲食店という体裁を取っている都合上、殆どの店舗は通常の飲食店(特に飲み屋)と同様に休業へ追い込まれた。ライブハウスという場所は初期にクラスターが発生するなど、多くのメディアで槍玉に挙げられた発生源の一つであったし、ただでさえ弱いエンタメの立場を実感した瞬間でもあった。

一部のマイナーな、いわゆる地底アイドル現場はライブ活動を継続していた様だが、ある程度の地下アイドルは殆どがライブ活動を休止していたと思う。
ヤなことそっとミュートも、この3月にメジャーデビューという最悪のタイミングの中、春から夏に掛けて予定されていたリリイベやデビューに伴う全国ツアーは、全て中止となってしまった。

また、この時期は無観客ライブの配信や、特典会の代替となるインターネットチェキ会、おうちチェキ(郵送チェキ)などが各グループで大流行し、2024年現在に至るまでスタンダードとなった。自分も何度かそれらに触れる機会はあったが、やはりライブや直接話す事そのものの感動には遠く及ばず、個人的には全くハマらず深入りする事は無かった。
あとこの時期はアイドルたちも暇してたのか、「自撮りつなぎ」っていうチェーンメールみたいなやつが流行ったよね。

2020年7月 ライブ活動の再開

6月末になると飲食店の営業制限が緩和され、7月に入る頃から徐々に地下アイドル界隈でもライブ活動の再開が為されるようになった。
再開後に初めて行った現場は、2020年7月10日、渋谷のMAG'S PARK屋上で行われたLiLii Kaonaらのリリイベだった。
野外とはいえ、椅子は2mごとに区切られ、観客はマスク着用で着座のみの鑑賞だったが、ライブを観られるという喜びに満ち溢れて甚く感動したのを憶えている。これは元々着座でも耐えうる音楽性とライブを展開していたリリカオだったのも幸いしたと思う。
そして特典会。ここで初めてビニールシート越しの会話を体験したが、お互いに慣れておらず、特にリリカオの場合は2人組で、基本的に特典会では1対2でお話をするスタイルだったが、シートがあると会話のキャッチボールが難しく、かなりの違和感があった。

翌7月11日には奥多摩のキャンプ場、おおばキャンプ村でサワソニキャンプが開催された。自分はこの日が初参加だったが、元々自由なライブフロアを志向したイベントだったらしく、マスクの着用が義務付けられる以外は、ライブ中にいきなりフロアでスイカ割りや大縄跳びが為されたり、比較的自由なイベントだったように思う。
この日にキスエクも4ヶ月ぶりに観た。流石に感動して少し泣いたのを憶えている。

この野外ライブの参加を2回続け、4ヶ月ぶりとなるライブハウスでのライブは、7月14日のキスエクとSKIRMISHのツーマンだった。この日もキャパを1/5程度に減らし、着座で2mの間隔を空けたフロア構成で、これがコロナ禍初期のライブのスタンダードとなっていく。

そして、この初期のライブハウスによくある環境だったのが、ステージとフロアを隔てるビニールシートだろう。飛沫防止という面では理に適っているようには見えるが、これがまたオタクからは不評で、比較的早い段階でどのライブハウスからも撤去されたような印象がある。
ちなみにタワレコのリリイベの際は記憶にある限りでは2021か22年の最初ぐらいまで継続して張っていることが多かった。わざわざ毎回清掃しているとは思えないし、絶対汚かっただろうと今になって思う。

2020年8月 福島エクストロメ ヤナミューとの再会

8月23日に、福島県いわき市の三崎公園野外音楽堂で行われたイベント。これ以降恒例となったいわゆる福島エクストロメの第1回。
この日は野外と云うこともあり、中盤エリアのみマスク着用で声出し可能とレギュレーションが設けられていたが、特にソーシャルディスタンスの維持などは厳格には遵守はされておらず、どのグループもかなり自由なフロアが展開されていたと思う。流石にモッシュは発生しなかったが。
この日は実に5ヶ月ぶりとなるヤナミューのライブだったが、久々にライブを観られた感動から涙が止まらず、この日は今後の人生で一生忘れられないライブの一つに間違いなく入るライブだった。

2020年9月〜12月

前述したステージに張られていたビニールシートだが、小岩オルフェウスの場合はこの時期には既に撤去されていたようだ。
また、この時期からはキスエク運営の大嶋Pに提案し、ソロのチェキの撮影時に限ってはマスクを外しても良いというレギュレーションを設定していただいた。
ソロチェキ撮影時のこの設定はコロナ時代に於いては他の多くのグループも採用しており、リリカオ、スペチー、姫事と、俺がのちに通うこととなるグループは大体がこの設定だったと思う。これらに慣れてしまったせいで、ソロチェキですらマスクのままのグループはあまり気乗りしなかったのも有るかもしれない。

ライブハウスのキャパ制限は未だに続行していたが、この時期になるとキャパの制限がやや緩められ、椅子が設置されるフロア構成も若干減り(もしくは椅子有りでも立って観覧するのがなんとなく許容される雰囲気になった記憶がある)、フロアに示される四角の枠の中で動かずにライブを観覧するようにという方向性が定着してきた。自分が通っていたイベントやライブハウスでは、このスタイルがこの後1年ぐらい続いたと思う。

2021年

この年もまだコロナ禍と地下アイドル界隈の雪解けは遠かった。
しかし、ライブや特典会のレギュレーションに関しては、微妙に動きがみられるようになってきた。

20時閉店 vs 特典会

年明けからは又しても緊急事態宣言/まん坊の発令により、閉店時刻が20時になる飲食店が続出し、それに追随してライブハウスも20時閉店の店舗が増えた。
土日であれば、対バンライブを15〜16時ぐらいから開演して特典会まで済ませて20時に客は完全撤収というパターンが増えたが、勿論平日にそんなライブを開催しても普通の人は訪れないし、土日でも昼のライブとの兼ね合いで夕方からの開演は難しいパターンも多かった。
そこでこの時期に苦肉の策としてよく有ったのが、20時にライブを終了させ、別会場で特典会を執り行うという手法。
一番多いのは、20時以降に会場近くで押さえたレンタルルームや貸し会議室へ客を移動させ、そちらを利用して特典会を行うというパターンだったが、例えば下北沢のERAは音楽スタジオを別フロアに併設している為、そちらに客を移動させて特典会を行ったりと、箱によって手法は様々だった。
自分は出くわしたことはあまり無かったが、20時に一度客を撤収させ、その後に同じ会場へ再び入場させて特典会を行うというパターンも有った。これに関してはいまいちカラクリが解らず、調べてもよく出てこなかったが、あくまで一旦退場してはいるので客ではなくたまたま同じ会場に居合わせた集団というパチンコ屋やソープランドの様な言い逃れだったのだろうか。途中からはまん防へ変わり若干緩和されて、飲食店群は21時閉店となったものの、これらの状況は緊急事態宣言の解除となった10月末まで続くこととなる。

各グループの特典会のスタイル

界隈やグループの規模で内容は大きく変わるが、この3年間で自分が通っていた現場の場合は、

ヤナミュ:マウスシールド+ビニールシート
キスエク:マスク+横並び(非対面)での会話
リリカオ:マスク
スペチー:マスク
リリスリ:マウスシールド+ビニールシート

ひめごと:マスク

というパターンだった。
他のグループでも一番多かったのはマスク装着+ビニールシートというスタイルだが、その特性上お互いに声が聞こえづらく、会話が上手く纏まらずに時間が終わると云った事も多くて辛かったのは、アイドルもオタクも同じであったことだろう。
リリスリバースなどは2022年ごろだったということもあるが、シートを建前として置いた上で、いずれのメンバーもそれを無視してお互いに横へズレて会話していた記憶がある。笑
はっきり言ってマウスシールドは無意味だし、ビニールシートも大して清掃・消毒されているとは思えないので、この世のあらゆるコロナ対策の「やってる感」の演出の為でしかなかったと思うな…。

バンドライブ

この年になるとメジャー系のバンドもライブ活動を再開しており、1,2月にはSyrup16gの新木場STUDIO COASTライブに一度ずつ足を運んだ。
声出しは禁止、白枠の中での観覧という制限はあったものの、シロップはもともと激しく暴れて観るというバンドでも無い為、比較的違和感は無く観ることはできた。

7月にはナンバーガールのライブを豊洲PITで観たが、これがキャパ制限、声出しNG、着座のみというライブで、やはりこういった激しいロックバンドと着座の相性は最悪だなと痛感した。

2021年3〜4月 まみ山登山復活

3月6日、間宮まにと井上唯(Maison Book Girl/当時)のトークイベントが行われ、そこでヤナミューでの活動に先駆けて特典会が解禁され、約1年ぶりに生で会話をすることが出来た。
4月3日には実に1年半振りとなるギュウ農フェスの開催。キャパ制限の都合上、ステージ数や入場人数を減らしての開催だったが、楽しかった。

2021年5〜9月

サワソニキャンプ二度目の参加。
レギュレーションは特に変わらずマスク着用が求められたが、それ以外は比較的自由なフロア。久々のキスエクの声出しライブはかなりのカタルシスがあって燃えた。

ヤナミューも遂にこの時期からはライブでの特典会が解禁されるようになった。

7月、スナックSAWAのリリカオのゲスト回に参加した。都内某所のゲストルームをワンフロア貸し切って飲み食いするというイベントで、コロナ禍に於いては初めてのアイドルオフ会参加であり、非常に楽しかった。

2021年10月

やっと緊急事態宣言/まん防が解除され、ライブハウスの営業時間も元に戻った。この時期になるとキャパ制限も無くなり、圧縮とまではいかないまでも、前方に関しては以前よりは詰めてライブを観ていたような記憶がある。

2021年11〜12月

11月14日、上野水上公園でサワソニが開催される。ここは野外ということもあり比較的自由な会場ではあったものの、今回は声出しはNG。というのも2020年4〜6月頃にも開催していた限界アイドル対バンイベントが、コロナ禍真っ只中の開催というのが問題視され(2021年5月には地上波のニュース番組で露悪的に取り上げられた事もあった)、声出しが禁止と相成ることとなったのであった。


そして同日には新木場STUDIO COASTでギュウ農フェスが行われた。同施設は2023年1月での閉館が決まっており、「さらばオクタゴン」と銘打ち最期の開催となった。因みにオクタゴンとは、同施設のフロアに設置されている超爆音スピーカーの事である。
前回から解禁された、ギュウ農名物であるアイドルのビラ配りもこの頃になるとすっかり増え、だいぶ日常風景が戻ってきた様な気がしてきた。

2022年

ようやくこの年になるとマスク着用ながら声出し可能のライブも少しずつ増えてきた。オフ会等を行うアイドルも増えてきたように思う。
当時通っていたSPECIAL CHEESE MENUでは、ホームグラウンドの中目黒Solfaの定期ライブや、12月に代官山UNITで行われたワンマンライブでも声出しOKというレギュレーションが固定となっていた。

私がこの夏から通い始めた姫事絶対値は、ラウド系のアイドルが多く出演する目黒鹿鳴館をメインとして活動していた為、基本的にマスク有りでの声出しが可能となっており、リフトもこの頃から少しずつ済し崩し的に解禁となったような気がする。

10月。お台場の旧Zepp Tokyo前の空き地を貸し切って、2日間のギュウ農フェスが開催された。
初日は声出しなし、2日目は声出しあり、無銭エリアありなど実現的な要素も含まれたイベントだったが、大いに楽しむ事ができた。

なんやかんやで、ようやく変革の先が見えてきた1年だったように思う。

2023年

遂に時代が動いた。
3月13日からは、マスクの着用に関して個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断を基本とするというまたよくわからん曖昧な通達を政府が発表してきた。これにより、特段着用を求められる場所でなければノーマスクでも良くなった。しかし依然ライブハウスではマスク着用が求められていた。

そして5月8日。新型コロナウイルスが5類へと移行したのを契機として、感染対策に関するガイドラインも緩和され、マスク無しでもOKとするライブハウスが遂に出始めた。そこからは完全に済し崩しの状態となったことは、記憶に新しいだろう。
そのうちに声出しOKと銘打ったライブが増え、もはや声出しNGのライブというものが少数派になり、気付けば声出しの注釈を記すライブすら減り、(界隈やグループの雰囲気にもよるが)今までの3年間は何だったのか?というレベルで声出し、モッシュ、リフトなど自由なフロアが戻ってきた。グループによっては、その反動でコロナ前より明らかに盛り上がっているフロアも増えたように思える。
着用を求められることもほぼ無くなったため、マスクをするオタクも気付いたら徐々に減り、気付いたら2023年は終わっていた。

最後に

このコロナ騒動は多かれ少なかれあと何年も続くだろう。もしかしたら一生続くかもしれない。それでも社会となんとなく共存していくことで、我々は本来の世界を取り戻しつつある。

コロナ禍以前の地下アイドルのライブというものは、往々にしてステージとフロアの盛り上がりの一体感が作用して成り立つ物が大多数であった。
しかし、コロナ禍に於いてフロアの声出しやモッシュ等のそういった盛り上がり要素が削がれた結果、ステージングの魅力に欠けるグループは淘汰され、本当に素晴らしいグループのみが生き残った事が、地下のライブアイドル業界に於ける3年間へ及んだコロナ禍の結果だったと思う。
このコロナ禍を乗り越えて生き残ったあらゆるアイドルグループはより強固な存在となったに違いない。これらを経た地下のアイドルシーンの生き残り競争は、2024年からも更に激化するだろう。

中島みゆきの歌詞を借りるならば「あんな時代もあったねときっと笑って話せるわ」と、こうしてこんな振り返り記事を書けるようになったのは良い事だと思う。2024年からの地下アイドルはどうなるのか。本当に楽しみである。

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