そもそも(種々の)学問への愛とは?

  本日は2022年9月10日で月がきれいな晩ですが、まだ体調を崩しているがために、返って様々な勉強ができる環境がある私にとって、世界情勢も鑑みながら、ふつふつと学生時代の復習、そして次のレポート描きに取り組みたい、種々の学問への感謝のような思いがあります。

 一地方にて民間の正社員たる私は現在、数か月前にとある(有期雇用の)後輩に勉強方法を教えたことを思い出しています。思い出す勉強の内容は種々あるのですが、その後輩から、今風の(というよりリアルタイムの現代のパソコンでの)画像技術を用いたレポートをいただいたことがきっかけで、結構年を経た私でしたが、図らずも画像etcのレポート作成についての魂に火を灯していただきました。そのことがきっかけで、というより(みょうな競争心が芽生え)後輩以上のしっかりしたものを作成する必要がある、そもそも社員である私が甘え切っているからこそ、後輩が作っているのだから、と、何とか自身が持っていた当時の能力を最大限出せるようにその日一晩時間を割き、完成原版を作成し、結果、ミッションを最終的にコンプリートすることができました。

 私自身今までミッションをコンプリートしたことはほぼめったになかったため、私自身珍しく自信が芽生え、そのお礼にと、もともと持っていた、(私の大学時代の)別の学問の勉強法・テキストを思い出し、その勉強法をテキストの復刻版とともに「もしわからないことがあったらいつでも聞いてください」旨を伝えていました。

 が9月の現在、その後輩がテキストの勉強を行うと話されていた8月、9月を経ても、私の体調はかなりすぐれない状況のままで、現在その後輩とは結果、音信不通となってしまっています。

 ライバル心というのは、向上心につながるとても大切なものですが、それが途絶えるというのは、非常に切なく心苦しいものと悲嘆に暮れました。

 私には、実母がいるのですが、おそらくは家族間でもそんな刺激がなかったからかもしれません、体調が優れずに帰省した際(実家の中に入るのは4年ぶりだったでしょうか)、大変変わり果てた姿の実母は痴呆症の気も多少感じ、そんなライバル心というより、良い意味?の競争心(=刺激)がないと、人は活力の源を失うのか、と親不孝だった自らのこれまでの行動にも落胆し、猛省に至りました。

 現在私は、そんな気持ちも踏まえた上で、いろいろな社会への復帰の道を模索しています。家族道のような目上の方・先祖の方を敬う志の学問、具体的な人生勉強の学問、具体的な事実を追求する学問、具体的な立ち位置・環境からそれぞれを研究&向上するように努める学問、具体的に後進の方へ学問自体を促す育成等、学問にも種々あるとは思いますが、せめて今の世の中を「自由に」生きる上で、

「後悔が生まれない、活力ある良い意味の学問」

をゆっくり追求したいと思っています。すべてミッションコンプリートになることは、さすがに間違いなく有り得ないのが世の常なのでしょうが、学ぶ方向性(=兆し)を良い方向へ向けたい、、、そんな思いを携えて今後も私自身、学問を勉強していきたいと思います。

 この投稿を通して読まれる方へ伝えたいのは、学問を志すに当たり、せめて私と同じ(結果マイナスの方向性(宗教・呪術など)を呼んでしまうような)思いや、勝手に押しつけがましく思われたり、過度の望み(=企みにつながるような悪意)は持ってほしくない、むしろ良い意味の少しずつの向上心を以て、人生勉強の学問を学ぶきっかけになったら、、、ということとなります。少なくとも健全な生活の基盤が前提です。健康第一、です。

 以上、ここまでご一読いただきありがとうございました。

 不肖な私自身は今後も、より種々の学問に対して時に一意に、時に幅広くより「良い」(愛?への)精進を行いたいと思います。


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