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母になって初めての母の日

私の母は健在だが、飛行機で帰る距離の県外にすんでおり、なかなか会えない。

そのため、母の日や誕生日、クリスマスには贈り物をしている。

今年の母の日には、オードブルを贈った。

博多久松の母の日オードブル(造花つき)

母とは、孫を見せるために週に一度は連絡するし、毎年帰省するし、良好な関係だ。

でも、毎年、母の日が来ると思い出すことがある。


私が小学校高学年のとき、母の日にカーネーションを買ってプレゼントした。

1人でお小遣いを握りしめて買いに行った。

母の喜ぶ姿を想像しながら家に帰ると、イライラしながら掃除機をかける母。

いつカーネーションを渡そうかタイミングを見計らっていたことは覚えているけど、どのタイミングで渡したかは覚えていない。

結果としては、「別にこんなのいらないよ。」と母に言われたのだ。

家は裕福でも貧乏でもなかったが、倹約家の母だったから、遠慮のつもりで言ったのだとは思う。

でも、そのとき、とても悲しかった。

今となっては分からないが、もしかしたら「ありがとう」という言葉もどこかに挟まっていたのかもしれない。

しかし、20年以上たっても記憶に残ってしまったのは、「別にこんなのいらないよ。」という言葉だ。



去年の母の日は、育休中で実家に帰省していたので、その思い出を明るい口調で母に話してみた。

すると、「え~、そんなこと言った?」という反応だった。

発した本人は覚えていないものだよね。

子育てにおいて、たくさんの愛情をかけてもらった言葉より、傷ついてしまった言葉が記憶に残ってしまうのは、痛ましい。



今年の母の日は特別だった。

上の子が「〇〇ちゃんのマスク買ってきて~」とぐづるので、夫が息子とドラッグストアに行ったのだ。

帰ってくると、カーネーションの花束を手に持った上の子が、「どうぞ」と渡してくれた。

「いつもご飯作ってくれたり~、ニコニコで遊んでくれたり~、ありがと!」と言ってくれたのが、とても嬉しかった。

後ほど、このセリフは夫が仕込んだものか聞いてみると、そうではなかったようで心底驚く。

とっても嬉しかったのだが、前述した実母との思い出がよぎり、ややオーバーに喜んでしまった。

人生で初めてもらったカーネーション


おしゃれなフラワーベースが欲しすぎる。

花束を買いに行ってくれた夫にも、感謝。

母の日のしょっぱい思い出と、幸せな思い出。

これからも母の日がくるけれど、今年の母の日は忘れられない。

夫、上の子、下の子の力作


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