わが心は灰の中の熾火

一見燃え尽きてすべて灰になってしまったように見えても、灰の中に火種が残っていることがある。それはふとした拍子に燃え上がり大火事になってしまうことがあるものなのだ。そういう灰の中に残った火種を「熾火」という。
人間の情熱と言うものも、この熾火という状態になることがあるのではないか。私は最近そう思った。

今年の初め、私のpixivアカウントが唐突に凍結された。
起きたことはしょうがないので新しくアカウントを取得し、作品とお気に入り、フォローアカウントのバックアップを取って、それからメインの創作活動のひとつであるMMDモデルの新作を作ったら新アカウントを公開しようかと思っていたらあと一歩のところでやる気が起きなくなった。
どうやらアカウント凍結は自分が思っていたよりも精神的ダメージだったようだ。
創作活動はいったん中断し、2月半ばから充電期間に入った。休みの時間はだらだらとゲームをしていたら、なんと今度は小説を書きたくなってきたのだ。それもプロットばかりが何本もわいてくる。

精神が燃え尽きたと思っても、ふとした拍子に燃え上がる。情熱の火を消したい人にとってはそれはボヤかもしれない。しかし生きている限り、いや生きようとしている限り、情熱の火は不死鳥のように燃え上がり復活するものなのだ。
わたしはあきらめない。

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