遺書として(1) 

ミームを知ったのはいつだったか?7,8年前?
その頃は蟻の生態に興味を持ち、蟻の社会性に疑問を持つ中でミームまでたどり着いた。
そしてミームを知ったことで人類の未来について、いろんな想像をしてしまう。特に人類の終わりについてを考えることが多くなった。

コロナが起こり、戦争が増えていて、未来というのはよりわからなくなった。タイトルに遺書と付けてあるがいつ死んでもいいように、一期一会のような思いで自分の人生に悔いがないように、思っていることを書いていこうと思う。

生物というのは環境が変われば進化が起こりやすくなる、環境に適応するためだ。人類にとって環境とは何だ? いうまでもなく自然は環境の一部。しかし、自然だけが人間の環境だろうか? 人間というのは家やビルなど生活するのに建築物の中にいることも多い。そして機械化も進み、近年になってデジタル化もPCやスマホなどの機器を多くの人が利用している。こういった科学のチカラによる環境というのも人間にとっては存在が大きい。
特にデジタル化、情報というのが世界の情報が簡単に瞬時に得ることができるようになった。そしてAIの成長も話題になっている。産業革命後、人類は環境破壊が進み、現在は環境保護をして、CO²など自然環境が急激に変わらないように努力をしている。ただ先述したように自然ではない環境、科学における環境というのは急激に変化をしている。生物は環境が変われば進化は起こりやすい。そしてそのような進化というのは予想よりもずっと早いケースも実験では観測されている。(ある視点から見れば生物界のトップ的な存在であるのに関わらず、その数の多さは生態系のピラミッドでみるとバランスが悪いようにも思う。)
人類というのは他の生物とは違い、科学というものを利用して、生存してきた。そしてその科学というのは遺伝子なども操作でき、それはヒトに対しても同様に行うことができ、遺伝子組み換えによるヒトの誕生もできるとも言われている。どこかのタイミングでそういった問題と真剣に向き合う時が来るだろう。ただそれは冷静な状況で判断できるのか、それとも危機的な状況の中での判断なのか、それはわからない。
自分は頭がおかしくなっているのだろう。もしかしたら人類が終わる日はもうすぐそこに来ているのかもしれない、そう思うことがある。環境が急激に変化をしていて、ヒトを変える科学力も持っている。その二つだけでは人類以上の生物が現れるとは思わないけれど、もっといろんな要因が増えてしまえば、あるいはヒト以上の存在、ヒトの進化が起こる、そんなことも思ってしまう。その要因は戦争であったり、核汚染であったり、パンデミックであったり、またそこから連鎖して起こる不安定要素が生きる希望のような形でヒトの進化を促す可能性はあるのではないか?そんなことを思う。

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