遺書として(5)

多次元、量子論的な考え方とミームにも同じように考えるべきことなのではないか、そんなことを思っている。

ここに2つの質問がある。
Q1:生まれ変わる場合、女王アリになりたいか?働きアリになりたいか?
Q2:未来に超人類(機械化など)になれるとしたら、超人類になる?普通の人間のまま?

この2つの質問は重ね合わせの内容になっている。多次元的な考えというのはキュビズムである。3次元を2次元にした場合、どの視点で見るかによって見え方が変わる。遺伝子とミーム、この点だけでみるとQ1もQ2も共通点がある。女王アリと普通の人間は遺伝、遺伝子を使って未来に情報を伝える。働きアリと超人類というのはミームを使う。そのように分かれる。

しかしQ1は次のような質問とも重ね合わせの状態になるだろう。
Q3:人間の生きる価値は子孫繁栄?それとも社会貢献?
これも遺伝子とミームのどちらを選択するか、という質問だ。そしてこの倫理の質問について絶対的な答えは存在しない。子孫繁栄も大事だし、社会貢献も大事、個も大事であり、組織も大事である。量子論的な考え、量子コンピューターのように重ね合わせを受け入れて、2元論的な考えは捨て、多くの次元、多くの視点を意識することが今後は大事になってくる。

Q0:遺伝子か?ミームか?
という質問に対して、人類は向き合わないといけない、そういう時代になっていくだろう。今の科学を考えれば今すぐに。
しかし残念ながら、そういう議論はされていない。そしてQ1のように一見すると遺伝子かミームか判断できないもの、Q3のようにどちらも大事なもの、そういうものが存在し、一見すると危険ではなさそうなものが危険であったりする可能性もある。生物というのは進化をするものであって、人間の進化が悪いわけではないだろう。しかし、熟慮せずに安易に選択をしてしまうことは良くないように思う。
第2次世界大戦後、多くの国は緊張はありながらも平和に生きてこられて、なぜ生きるのか、生きることについて意識することが少なかった、なかったかもしれない。しかし、現代の科学、そして時代の流れを考えれば、今、生きるということをしっかりと意識しないといけない、そういう時代になっているように思う。

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