AIと思想

ソ連が崩壊するまで資本主義、社会主義という思想、その二つの主義のどちらが正しいか? そのような話は多かったように感じる。まるで思想というのがその二つしかないような印象もあった。
社会主義の中心であったソ連が崩壊したことによって、社会主義というのは完全ではない、と考える人も多い。そして逆に資本主義の欧米を含む先進国の今の考え方は多様性であり、その中でゲーム理論、囚人のジレンマのように個人の利益よりも大きな組織としての利益を優先する、共産主義的な要素が入ってきている。
そしてそれは従来コンピュータと量子コンピュータの違いと似た状況になっている。従来のコンピュータは1と0しか扱っていない、そのどちらかを組み合わせていた。しかし、量子コンピュータは1と0を重ね合わせることで次元を上げること、数字を0から1までの幅、面をつくることができるようになった。資本主義社会、競争社会でも100%自分の利益、個人の利益を追求するのではなく、そういった資本主義的な考えをベースにゲーム理論などの論理的な共産主義的な考えを重ね合わせで考えることがよりよい選択になる。どちらをどのくらいのバランスで考えるべきかというのはケースバイケースになってくるだろうが多様性の時代に重ね合わせ、多次元ということを意識することは非常に重要になってくると思う。

ただこういったことをどれだけの人が理解をしているのか?意識しているのか?
AIという科学の脅威がある中でその科学を扱う人たちの使い方で未来というのは大きく変わるように思う。特に現在状況を考えれば、多くの人、世界中で一般市民がAIを利用する、そういう時代になっていくだろう。その中で多次元であったり、重ね合わせの意識がない、前時代、資本主義的な価値観が強いままであればどのようなことが起こってしまうのか?
生成AIに関して、フェイク、ディープフェイクの懸念もされている。実際に日本でも海外でも、政治家のフェイク映像がでて問題になったりもした。共産主義社会というのは夢のような話でそれは世俗から切り離された聖人のような人たちなら可能な社会かもしれない。ただAIが今後、あまり影響しない社会だとしても資本主義という価値観は変えていかないといけない時代になっている。今、ゴシップ的な話題でいうと「松本人志氏と文春」が大きく扱われている。これもどちらも主張が全く違うので重ね合わせの状態だが、この件に関し、まだ真偽がわからない中でいろんな人が必要もない人まで話題にしているようにも感じる。特にネット上、SNS上であれば、このような大物芸能人、トップ芸能人というのはアクセス数が稼げる話題でもあるだろう。またアクセス数を稼ぐなら過激な内容であればよりアクセス数を稼ぐことができる。もし組織、国単位でこのような行為を多くする、そういう人が多い組織、国というのは未来はどうなるのか? 小さな組織、学生時代などで経験がある人もいるかもしれないが他人の不幸を食い物にしている人がいる場合、ポジティブな行動はせずに、周りと合わせる、もしくは誰かの足を引っ張る、そんなことが起こるように思う。性加害も大問題だし、過剰な報道で休業状態に追い込むの問題だと思う。ただそこは一旦置いて、資本主義という価値観が強すぎてしまうと必要のない人まで過剰に介入し、あることないこと、いろんな情報が発信される。そのことで真実というのが余計に見えなくなる。
ネット、そしてAIという時代が来るからこそ、思想、倫理や哲学というのが大事になってくる。個人の利益というのは尊重されるべきものではある。しかし、個人の利益だけではなく、周囲、組織の利益というものを優先した方が結果、個人の利益につながることも多い。ゴシップな話題だけではないが個人の利益のために行動するのではなく、組織のための行動を意識することは大事。特に日本人は言われたことに忠実になりがちであり、また倫理や哲学を意識することも少ない。故に資本主義的な価値観が強くなってしまう人も多いと思うが資本主義を否定はしなくていいが多次元、重ね合わせという考えをしていかないといけない時代になった。変えていかないといけない。

こういうことを言っても、否定されたくない、受け入れたくない人もいるだろうが時代が変わる中でいつまでも変わらない、成長できない組織から抜け出す、住みやすい組織に鞍替えする人は出てくるだろう。
AIの時代がくる中で世界的に倫理・哲学の成長は必要だが日本はその中でも特に意識して上げていかないといけないように思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?