遺書として(2)

「魂は死なない」
ソクラテスの言葉だがその言葉は正しいのかもしれない。20世紀、科学の発展が凄く、一時期は根拠のない言葉、スピリチュアル的なことに対し、即否定することもあった。しかし、魂というのは存在する、と言ってもいいのかもしれない。

ミームという言葉はまだ最近の言葉で社会に浸透していない。簡単に説明すれば、遺伝子と密接な関係、相互に影響し、遺伝子のような働きもする、そんな存在。そしてそれは文化、環境、教育などいろんなものがミームと呼ばれるものの一つになる。
ヒトはなぜ生きるのか? 哲学ではなく、科学という側面からみるとその答えはどう答えるべきか、学者の中でも答えは違う。しかし生物というのは子孫繁栄というのが大きな一つの使命というべき目的がある。それをもっと細かく分析をすると、未来に自分の情報を伝える。未来に情報を伝える手段として、遺伝、遺伝子というものを使い行っている。しかし、現代のヒトを考えてみるとどうであろうか? 知能が発達し、文字情報というものが作成され、未来に情報を伝えるということは他の生物と比べれば格段に増えた。そして近代になって、情報というのは容易に多量にやり取りができるようになった。

もし生物が遺伝子を残すことが目的ではなく、自分の情報を未来に伝えることが目的だった場合、遺伝子とミームというのはどう考えるべきか? 

遺伝というのは父からの影響、母からの影響が50%で受け継がれる。そして人の成長における遺伝の影響というのは遺伝子が50%、そしてそれ以外(環境、教育、文化、、、)、ミームによる影響が50%と言われている。遺伝というのは一つ一つ、アナログ的な伝え方になる。一方、ミームというのは教育、学問という形でヒトの成長に影響を与える。そう考えれば多次元的な形で影響を与える。遺伝が二次元的な線によるやりとりだとすれば、ミームは三次元もしくはもっと多い次元で面であったり、空間でやりとりをしている、そんなイメージになる。とはいえ、まだミームの影響についても研究段階であり、例えばニュートンのミームはヒトの成長にどれだけ影響を与えるかみたいなことは分かっていない。それが1%くらいあるのか?それとも数えきれないくらい小さな影響なのか?それはまだわからない。
しかし、今の世界の人口は約80億、ニュートンのミームが仮に0.1%となった場合、人口に合わせ考えると8億%という恐ろしい数字になる。0.1%はあり得ない数字かもしれない、しかし、情報というものが多く、容易にやり取りできるような環境になれば遺伝子で未来に情報を伝えることよりもミームによって情報を伝える、そんな考えを持つ生物、ヒトが現れても不思議ではない。なぜなら未来に情報を伝える手段としてその方が効率がいいからだ。

「魂は死なない」
魂は死なないどころかいつか生物は肉体という体、遺伝という行為を捨て、ミームを中心とした生きる目的を持つ、そんな可能性もある。そしてそれは近い未来に起こるかもしれない。
自分は頭がおかしい、だから、そんなことも思ってしまう。

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