遺書として(3)

この世界は誰のものなのか?
ひも理論、超弦理論という物理理論がある。パラレルワールドやタイムワープなどSFでよく言及される理論。個人的にはそのような可能性もあるかもしれないとは思うがそのようなことは限りなくあり得ないものと思っている。そもそもひも理論というのは次元でものを考える。シュレディンガーの猫のような話のこじつけでパラレルワールドや時間の話が出てくるがそれは本質ではないように思う。
この世界というのをどのように定義するのか?ひも理論もそこが大事になっている。ひも理論は11次元ということにしている。今、多くの人が感覚的にわかっているのは3次元空間に時間という3+1次元だと思う。しかし、ひも理論では11次元だとしている。物理の学者ではないから自分も自分以外の例えば地球なども一つであって、パラレルワールドのようにいくつももの存在があるとは思わない。しかし、ひも理論が正しいのであれば、残りの次元に何があるか、どういう可能性があるかは意識しないといけないように思う。
3次元空間に2次元の生物がいる世界があったとしたら、2次元の生物というのは3次元の存在どう認識するのか? 2次元平面に接している実存しているものと2次元平面とは接していない影のような部分、そういうものを考えないといけない。2次元の生物は3次元の物体の実存する部分と影になっている部分、その見分けはつくのだろうか? そしてそのまま3次元+1次元の我々人類というのも自分たちの住んでいる世界よりも多次元のものを見たときにどう見えるのか? 
未だ人類の科学はすべてを解き明かしたわけではない。多くのことが未解決でわからないことも多い。この世界は見えている世界だけではなく、次元も含め見えないものによって構成されているものも多い、と意識しておくことは大事になってくる。

ひも理論はパラレルワールドなどのファンタジーとしてではなく、次元、多次元というものを意識することが大事だと思う。遺伝子にしても、ミームにしても、我々人類の判断というのは本当に自分たちの判断なのか? それとももっと多次元の何らかの意図によって行動を引き起こされているのか? そのような可能性も考えていかないといけない時代に入っている。

自分は45歳だが自分の子供時代に「オタク」というのが世に出始め、アニメや漫画のキャラに恋する人というのが出てきた。慣れ親しんだものから憧れる、恋焦がれるという気持ちを否定しようとは思わないし、そういう気持ちに共感できる部分もある。ただ遺伝子や欲求というのを科学的に知っていく中でなぜこういう現象が起きるのか?不思議に思っていた。ミームというものを知り、ひも理論というものでこの世界が多次元であると知った時、あることを思った。人間の進化、超人類の誕生。
人が人を愛さない、繁殖行動を行わないことが進化への呼び水になっていくのではないか?
そしてメタバースのように人間が2次元の世界に生きようという考え、そしてAIというものへの依存度を高めようとしている。もしこのまま無意識にAI化、デジタル化を進めていけば、人間というのはいつか今の体を捨てる日が来るだろう。それは科学のチカラが成長し、また倫理、道徳観というのが科学と対等ではなく、太刀打ち出来ない状況で起こる。
もしまたパンデミックが起こり、コロナよりももっと悲惨な状況だったら?
また戦争がこのまま世界に飛び火をし、核戦争が始まり、世界が核汚染したら?
環境破壊が進み、異常気象が続き、食料がなくなったら?
そんな状況で科学のチカラでヒトとは違う形で生きられる、そんな選択があったら、ヒトはどう選択すべきか?
核汚染などもしかしたら、明日にでも起こっても不思議ではない。可能性は低いものの状況というのは簡潔に述べれば危険は絶えずあるだろう。
問題は進化の是非ではない。大事なことは倫理、道徳観が科学と見合ってないくらいに成長できていない。きちんとした選択ができる状況ではないことだ。
遺伝子、ミーム、ひも理論、、、いろんなことを考えて、改めて、人類はどう生きるべきか?それを考える時期は近いように思う。


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