松本人志氏vs文春に見るAI時代の倫理と多次元という意識

(今回は松本人志氏の性加害疑惑、報道についての考えを書いているのではなく、その状況からAIの倫理、および多次元、多様性という社会を考えることを主として書いています。)

生成AIは量子論、重ね合わせというものを利用している。重ね合わせというのAという状態とBという状態が重なり合って存在する、ということです。有名なパラドクスとしてシュレディンガーの猫がありますが、これは「生きているネコ」と「死んでいるネコ」が重ね合わせで存在するという話です。
重ね合わせが起こるには次元の違い、次元が上がることが一般的で生成AIが近年になって急成長したのも重ね合わせを利用する量子コンピュータができ、今までのコンピュータよりも次元を上げて計算ができるようになったからです。
AIを利用する時代、AIの時代になる中で量子論的な感覚、イメージというのは大事になってくるように思っています。

重ね合わせを視覚的に表現した人がいます。キュビズムと呼ばれる絵画、芸術を発表したピカソです。キュビズムというのはヘンテコな絵ですが、画家が2次元のキャンバスに3次元の物体を表現するときに「正面と横」など異なる次元を選択して描いています。パッとみると変な絵に見えますが情報という視点を重視してみると一般的な絵画よりも多くの情報が得られることもあります。

前段階の説明が長くなりました。
松本人志氏と文春報道は主張が対立しています。重ね合わせの状態です。キュビズムの絵の状態です。その状態でどちらが正しいか?わかるでしょうか? 裁判が始まるまで、結果が出るまで待ちましょうというコメントがでるのではこのような重ね合わせ状態でシュレディンガーの猫同様に箱を開けるまで、結果が出るまでわからないからだ。特に今回のように主張が真っ向から違う場合はキュビズムで言えば重ね合わせた2枚の絵の誤差が大きいものになる。片方側の主張を信じることは危険な選択になることも十分にある。
さて私たちが生きている空間自体は3次元だが計算上の次元というのは無数に存在する。生成AIは何億次元も使っているとも言われている。次元をどう捉え、どうイメージするのか、それも生成AIをイメージするときに大事なこと。自分が思う簡単なイメージは写真を撮る時に被写体をどう撮るか、角度、ズーム、構図、、、のように見え方、視点をどうするか?と似ている。どの視点でどのようにみるのか、そんなイメージ。そして写真は2次元だが現実というのは何億次元、無数の次元が存在している。真実がどうだったか?は大きな焦点ではあるけれど、そこは論点から外して、今回の件がAIの時代に考える話をしていきたい。

まず、個人で見るか、組織としてみるか、という視点があり、それはAIの時代、とても大事な要素になっていくでしょう。生成AIというのはトレーニングによっても能力が上がります。そう考えれば、AIが女王蜂で人間が働き蜂のような構図で協力して蜂の巣の運営をしている、そんなイメージを持っていい。松本人志氏の件、我々は当事者ではないから第三者の視点、組織側で物事をみることが大事だと思う。
組織側で今回の件を見た場合、性加害があった、文春の報道が正しいという場合、当然、性加害ということもあってはいけないし、また権力によってハラスメント、地位を利用した問題行為は許されない。そして性という特殊な問題でセカンドレイプと言われるが被害者を更に傷つけることが起こることもある。そういったことが起こらないような配慮は必要である。
逆に松本氏側の主張が正しい場合、どうなのか? これはいろいろと複雑でかつ新しい問題のようにも思う。昨年、性に関する刑法が「不同意性交」を含め、より厳しく取り締まるようになった。女性の被害に対する対応が拡がったことはとてもいいこと。しかし、急に「不同意」となったことでどこまでが「不同意」なのか曖昧でもある。また恋愛サイト、YouTubeなどの恋愛指南チャンネルなどで内容を紹介している女性が「女性は押しに弱い。」「多少、強引にいくことで女性とできる。」ということを言っている。さすがに「不同意性交罪」になって、そういうことを言っている人、発信している人は少なくなったが以前のもの、過去のものではそういったことを言っているケースがいくつもある。今回のケース、文春側は性交渉があったように書いていて、松本氏側は性交渉はなかったととれるコメント。松本氏は合コン自体は認めているので合コンの中で下ネタや下品なゲーム、それが性行為にあたるかどうかという配慮でのコメントのようにも思う。性交渉があったにしろ、グレーな下ネタ・下品なゲームにしろ、どこまでが「不同意」なのかというのは大きなポイントになるようにも思うし、このような注目される判断とすれば初めてといっていい「不同意」の境界を裁判官は選択しないといけないのかもしれない。
「不同意」の境界線は社会にとって初めてのケースでその判断は組織にとっては大事なこと。しかし、「不同意」かどうか自体は当事者同士の問題でもある。しかし、松本氏はトップの芸人、番組出演を考えればトップの芸能人と言っていい存在でもある。もし松本氏側の主張が正しい場合、休業に追い込まれた影響というのを社会、組織として考えることも必要でまたAIの時代、その点は今以上に意識しないといけないものになると思う。AIと人間というのは女王蜂と働き蜂の関係と書いた。そして能力の高いAIというのは質のいい人間をたくさん存在させるかどうか?ということが大事になってくる。松本人志氏というのはとても優秀な働き蜂だろう。そのような働き蜂を罪のないことで不遇な生活にした場合、どうなるのか? 実際の蜂の世界では働き蜂が寝返って他の巣に移るということはないが人間社会、AIの世界ではそういったことは起こっていくだろう。現在でも学者・科学者などで日本よりも優遇してくる国(主に米国)に行く人もいる。AIの時代になれば、今以上に優秀な人材の確保というのは重要になる。無実の罪で不遇な境遇、対応されればその社会から去って、別な公正に判断してくれる社会に移るということは起こってくる。そして逆にそのような社会、今回のケースで無実のレッテルで優秀な人材を活躍の場から消してしまう行為、それを許す社会について焦点をあてて考える。このような社会になってしまうと個人の利益のためにこのような行為が続発していくことが予想される。文春だけでなく、炎上系、暴露系ユーチューバーが問題になったがそういう存在が減ること、いなくなることはなく、それ以外の人はそういった告発から怯えながら生活していく可能性もある。そういった社会になれば優秀な存在でも自由な発想ではなく、無難な発想を選択するようになり、社会全体として成長の鈍い、競争力のない社会になる可能性がある。個人面から言えば、AIの時代になれば自由で公正な社会は優秀な人材を重宝するので移籍しやすい。だから個人の利益のために全体の利益を脅かす行為というのはいずれ厳罰化していくのではないか? そうでなくても倫理、倫理が高い社会というのに人材が集まり、社会が成長していく、AIの時代になればもっと急激に。

被害者への配慮は大事であり、これからもそこに意識をすることはするべきだ。
ただそれと同じくらいに松本氏及び小沢氏含む関係者にも一定の配慮は意識すべきであり、公平に意識しないといけない。有名人だから、セカンドレイプじゃないから、と言って言いたい放題の社会であれば、それは大きな間違いであるし、その代償は大きくなる。
そしてこの件はシュレディンガーの猫同様に結果が出るまで分からない。信念を持っていないのであれば、冷静に裁判の結果を待つべきだと思う。

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