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食いしん坊のお母さんと食べることに興味のないお父さん

「子供の頃、バナナは年に一回、クリスマスにしか食べられなかった」と、私とほぼ同年代の旦那が語ったとき、私はショックを禁じえなかった。旧東ドイツとはいえ、先進国ドイツだぞ!第二次大戦直後に生まれた子供でもないし、話を聞く限り、特別貧しい家庭に育ったわけでもないらしい。週末はトラビに乗って田舎の家をDIYし、月から金はベルリンで学校や職場に通う、ごくごく普通の五人家族。バナナは年に一回しか食べられなかったけど、リンゴとか梨はいつでも手に入ったし、特別不便を感じなかったと言うけれど、これまたフツーの日本人の私からしたら、バナナもまともに手に入らないなんて、相当辛い子供時代を過ごしたのだろうなあと憐みの目で見てしまう(申し訳ない…)ようなエピソードである。

さて、そのような幼少期が影響しているのか何なのかは識らないが、大人になった旦那は食べる事に興味のない人間である。かたや私は、グルメとまではいかないけれど、美味しいものは好きだし、料理も嫌いではない。パンとチーズはあまり口に合わないから、餃子やトンカツ、カレー、唐揚げ、焼鮭&白米、スモークサーモンやアボカドの海苔巻き、野菜炒めをのっけた出前一丁など、そのときの気分次第で作って食べている。息子(11)は生まれた時からこういう環境で育っているので、別に文句は言わない。旦那は食べる事に興味がないので、文句を言わずに食べる。

しかしこんな調子だから献立を考えるのは私だし、冷蔵庫を覗いて白菜がないから買いにいかなきゃと在庫をチェックしたり、19時にはお腹が空くから、18時半には作り始めなきゃとか、そういうことを考えるのは私しかいない。たまに用があって帰りが遅くなると、父子ともに夕飯の時間になっても何も用意していない、何も食べていない、そこまで空腹を感じなかった(でも〇〇食べる?と訊くとうんと言う)という消極的な理由で食事をしていないというパターンが、あまりにも多い。まあ旦那はもういい齢の大人ですからどうでもいいのですが、育ち盛りの小学六年生男子まで放っておくわけにはいかないし、できれば私のチビの遺伝子を栄養でカバーして欲しいし、食事をおざなりにする訳にはいかん。というわけで、結局次の食事の手配をするのは必然的に私の役目ということになる。

たまに献立が思いつかず、朝や昼に「今日、夜何食べたい?」と旦那に訊くと、「そんな先に何が食べたいかなんて分からない(´・ω・`)」と言う。このDesinteresse(無関心さ)!これがこの男の食に対する姿勢である。

食べる楽しみを感じない・知らない人なんてこの世の中にいるのか?と私は長年思っていたが、こういう人種は結構いるらしい。類友というかなんといういか、旦那の周りにも数人、こんな感じのお友達が多くいらっしゃる。ここで主語を大きくして、ドイツらしいとか、旧東独らしいとか言うつもりはないけれど、せめて息子には美味しいものを食べて育って欲しいと思い、旦那に献立&調理を任せられない面倒くささを若干感じつつ、今日もアジアンショップに買い出しに行く。

とはいえこれって時給換算したら結構なもんだよな、とふと思い、日曜日にあえて晩御飯を19時までに用意しない実験をしてみたら、週末旅行から腹を空かせて帰ってきたメンズは当然、食事があるものだと思っているし、ウーバーイーツの登録をしようとした瞬間にスマホが壊れるし、テイクアウトに行ってくると外に出た五分後、マスクを忘れたといって戻ってくるし、手際の悪いのなんの。しかし自分でやってもらわないことには、成長は見込めないのです。ぼちぼち息子も大きくなってきたので、私一人で日本に帰省、なんてこともやりたいし、ここは心を鬼にして、自分で考えて行動しないことには食事は出てこないということを学んでもらおうと、近所でテイクアウトしたシャワルマをちゃっかり頬張りながら、食いしん坊のお母さんは考えたのでした。



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