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バイト生活終了。

大学1年の頃から続けた魚屋のバイト生活が昨日で終わった。

約3年半アルバイトをしていた。

きっかけはただ魚が好きなことと、近所なとこ、閉店時間が早く親に咎められない事だった。
また魚屋という人とは違う珍しい所で働きたかったのもある。
また地元に思い出のない私にとって、同級生と会うのは気恥ずかしく、魚屋なら買う人がいないだろうという理由もあった。
他にも、社会経験を積みたいというのもあり、世間に興味がなく無知のまま育ったのでこのまま社会に出ると危ないという危機感もあった。
それに人前に出ることが大嫌いだったので、あえて接客業を選ぶことで慣れるのではないかというのもあり、ただバイトを始めるだけなのに色んな理由を持っていたのである。
1年生の秋からはじめて4年生の3月までの3年半、長いようで短かった。

当時のそこの魚屋のアルバイトには当たり前だけれど、社員とバイト含め男の人が多かった。
同期と呼べるバイトは1人だけいた女の子だった。その子はその魚屋で初めての女の子のバイトだったらしい。
魚屋のバイトで何をするかと言うと最初はレジを覚えた。ただひたすらレジを覚えた。
(今となっては息を吸うように出来ることも最初はとても苦戦したのを思い出した)
それまでお店に行ってレジをしてもらうのに何も考えずにしてもらっていたけれど、いざ自分がレジをする側になると難しい。なにも分からない。
分かることと言えば、商品を通すことだけだった。
しかし、レジの作業は想像以上に難しいものだった。
いらっしゃいませから始まるポイントカードの有無、お箸の有無、(今はレジ袋の有無)、お札の数え方、ポイントの付け方、魚名前を覚えてレジを打つなど多岐に渡ることをスムーズに行わなければならない。しかも、そのお店はレジが基本1つしか空いていないので、全て1人でこなさなければならない。お客さんの行列も基本全て裁かなければならない。
しかもなんてったって最初は魚の名前が分からなかった。魚が好きなのに。
鰯と鯖の違いが分からないほどで、お客さんに聞いたこともある笑
とにかく分からなかったので、お客さんがいない時はずっと魚を見て名前覚えたなぁ…

その後、レジは覚えたもののお客さんとの間の取り方とかが全然掴めなくて、スムーズにレジ作業が出来なかったし、レジの最中に声を掛けられるとパニックになった。その後1年半程はずっとレジで、朝から晩まで8時間9時間レジをこなすようになった。
でも最終的にレジに慣れたのは2年ほど経ってからかな…
社員さんに接客業を色々教えて頂きながら、学びました。

そしてその後は寿司作りをするようになった。ここからはなかなか企業秘密というか書いていいのか分からないので書けないけれど、
ネタの順番とかまあ覚えることが多くて大変だったけれど、寿司作りは楽しかった。
寿司の社員が異動することになり、寿司をメインで作るようになった。あの頃は本当に大変で店長ととにかく相談しながらなんとかやり遂げていた気がする。寿司作りをしたことが無い店長とバイトの二人三脚だったように感じる。
新しいバイトに教えることもしていたので、とにかく教えながらよくあんな大変なことこなしていたなと今になっては思う。とにかく人不足だった。
私の後に入ってきたバイトはすぐ辞めていく人ばかりで、後輩が入らず1年半ほどずっと新人のままでだった。
その後もバイトの入れ替わりは激しく1年以上続けている人は稀だった。

そしてにぎり寿司から巻き寿司、押し寿司などといった他の寿司も作れるようになり、休日の寿司はメインで作れるようになった。なんだかんだ色々あったけれど、刺激があって楽しかったなぁ…
準備から片付けまで全部こなせるようになって嬉しかった。

節分と大晦日、年に何度かあるセールはとにかく忙しくて、大変だったのも思い出した。気を引き締めて行かないとお客さんの雰囲気に呑まれてしまう。そんな状況だったのでどこもピリピリしていて、節分の恵方巻きはすぐに売り切れるため食べた思い出が少ない😭食べたかった…

そして2年目から3年目にかけてはそれまで入らなかった平日の朝にも入るようになり、パートさんに可愛がって頂いた1年だった。
みなさん個性豊かで色んな人生経験をされていて人生の先輩方だったなぁ。
˙ω˙)ว
最後には留学生のバイトが増えて海外の友達が出来た。色んなことを教えてくれて世界が広くなった。

社員さんはいつも寿司から色んなものを買っていただいて、優しくてお話するのが大好きだった。
店長はいつも冗談ばっかで笑わせてくれて、怒った姿を見たことがなかった。店長が店のいい雰囲気を作り出していたのだと思う。わがままなシフトをいつも聞いてくださって感謝しかないです…
色んなことを経験させてもらえて、常に刺激たっぷりなバイト先だった。

お客さんも色んな方がいらっしゃって、3年半も働いていると常連さんが声掛けて下さるようになった。それがすごく嬉しかったし、バイトの楽しみでもあった。
何人かのお客さんにもうすぐ辞めると感謝の言葉を言ったら、最後の日に会いに来て下さったり、プレゼントを頂いたり凄く人に恵まれた環境だったなぁと痛感した。

ただ唯一やり残したことと言えば、魚屋のバイトなのに魚を捌けないまま終わったことだった。
レジや寿司を専門にやっていると社員さんが捌いてる様子を全く見れないのと、常に忙しくて学んでいる時間がなかった。
もっと自ら学びに行ったら、捌けるようになったのかなぁなんて…ちょっと後悔しているけれど仕方がない。これから学んでも遅くない。何度も魚を買って帰って家で捌いたりしたけれど、見たらとても難しい…
プロってすごいなぁ…と痛感する。専門職ってカッコイイ。

刻刻と近づいてくるバイトを辞める日。大好きなバイト先だったから寂しくて寂しくて、辞める前から泣きそうだった。(滅多に泣かないのに)

辞める時、パートさんにお礼を言って、回ったら皆さん色んな物を頂いて泣きそうだった。

最後の日朝から寿司作って至って普通の日だったけれど、
お客さんが会いに来て下さったり、パートさんがお休みの日なのにプレゼント持って来て下さったり、お昼買ってくださったり、色んなことをして下さった。
店が閉まって最後に短い間だったけれど、仲良くなった留学生の子が泣きながらハグしてくれて、こちらももらい泣きしてしまった😭
そして店長と社員さんに挨拶をして、
店長が最後、「助かりました。」と言って下さった。
この言葉だけで全てが報われた気がした。
雇って頂いた側だけれど、大変だった日々が走馬灯のように頭の中を巡って、帰り道自転車を漕ぎながら涙が止まらなかった。それまでは我慢していたのに、夜道泣きながら帰った。

次の日から店員ではなく客に戻る。そのことがとてつもなく寂しくて寂しくて、未だに辞めたのは夢だったのではないかと思いながら過ごしている。

人と関わることが好きになったのも、
性格がオープンになったのも、
初対面の人と話すことができるようになったのも、魚の名前食べ方が分かるようになったのも、
太巻きが巻けるようになったのも、
レジの気持ちがわかるようになったのも全てここでバイトしたから得られたことだった。

店長やパートさんから
「事務職の器じゃない、現場の人間やわ」と言われたこの言葉は一生忘れられないと思います。
ずっと事務職しか出来ないと思っていたから、現場の人間だと思われる日が来るなんて…嬉しくもあり複雑な気持ちです笑

いっそのこと、この魚屋に就職すればよかったんではと思われるけれど、確実に体壊すと思うので難しかったかな…
でももし私が男だったなら、ここで就職していたのかもしれない。生まれ変わったらここで働きたかったな。


というわけで今までのバイトのことをぶわぁーーと書いてみました。
貴重な経験だったし、一生忘れられないと時間だったなぁ…
今までありがとうございました。

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