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PCR検査抑制のデマに嵌らないために必要だったこと

PCR検査抑制論に引っ掛かり、なおかつ今になってもそれを改めることができない人物は、情報収集力や論理的思考力や謙虚さが著しく欠けているんですよ。そして、検査抑制論に嵌った機序から根本的に修正しない限り、これからの人生で何度でもその人の判断を誤らせていく。信用も失われ続けていく。

日本で本当に残念だったのは、感染症専門家や医師の多くも検査抑制論に引っ掛かったってことです。それはちょっと間違えちゃいました程度の誤りではなく、最終的には何十万人もの感染増加や医療崩壊や経済被害につながっていく誤りだった。感染症や公衆衛生に関するデマが許されないのは、そのためだ。

論理は極めて単純で、感染拡大は感染者と非感染者の接触で起きる。感染者が人口に占める割合はわずかだ。検査なしで精度よく感染者を見分けることはできないが、検査すれば精度よく見分けられる。だから収束国はどこも、陽性者数を圧倒する検査数をやって制圧に持ち込んだ。陽性率が高い収束国は無い。

たったそれだけのことが理解できない者だけが、検査抑制論に騙される。そしてそれが日本のコロナ対策の失敗の元凶となった。本当に許されないことだし、これまでに僅かでも加担した者は、それがもたらした壊滅的な検査の少なさを今すぐ挽回するために尽力しなければならない。

検査抑制論に嵌らないためのコツはいくつもあった。主張の根拠となる事象に十分な根拠と一般性があるかを確認するとか、諸外国のニュースを見るとか、論文を探して読むとか、東アジアの状況を馬鹿にせずに確認するとか、どれか一つでもやっていれば、引っ掛からずに済んだはずの愚論でしかなかった。

本当に残念なことだけれど、検査抑制論は愚か者の総合展示場の様相を呈してきている。日本は民主主義国であるから、公共の福祉に反しない限りどんな愚行も許容されるべきだけれど、検査抑制論は公共の福祉を真っ向から棄損する。強権に風当たりの強い国であっても、徹底して排除されなければならない。

現に、収束国で検査抑制を実践している国は皆無だ。蔓延国ですら先進国では検査拡充自体に疑義を唱える専門家はわずかだ。検査拡充は基本中の基本としてそれでも間に合わないから精度の劣る抗原検査「頻回に」やることで制圧に漕ぎつけようという動きもある。検査をケチる考えは初手から誤っている。

たとえワクチンに期待を掛けるとしてもそれは検査を否定して良いことには全くならない。そもそも感染症対策はリスク低減策の重ね合わせだから、十分収束するまでは、どれかの対策が他の対策を否定して良い根拠にはならないと肝に銘じておかなければならない。銀の弾丸は無い。

検査抑制論が煽った市中感染は、今後も加速度的に増えていく。医療資源は加速度的には増やせないから、遅れれば遅れるほど手遅れになる。だからこそ感染症は初動が重要だった。しかし欧米に比べれば日本にはまだわずかに時間が残されているのも事実だ。英国株蔓延までにできることをやらねばならない。


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