検査抑制論に嵌まる者の病理

医療の知識のない一般人が、ツイッターの医クラの発信するデマに取り込まれていく思考回路を赤裸々に述べていて、悪い意味でとても興味深い。医クラがほぼ全員揃って検査抑制論に乗っかってしまい、いまだに全く反省していないことの罪の重さがわかる。まじで彼らはどこまで行くつもりなんだろう。

(※テレビに出る専門家は空気に合わせて発言するようになるので闇落ちする。Twitterで信頼できる専門家を芋づる式にフォローして専門家の群れを観察しよう、という話)

逆にいえば、定説の定まっていない新しい危機に際して、こういう考え方で信用する人を決めてはいけないという良い反面教師になっている。こういう間違いをしないために大切なのは、外国のニュースも見るとか論文を探して読むとか反対意見も読むとか、地道な努力が必要だった。

SNSでエコーチェンバーが形成されていく過程でもある。本人は主体的客観的に信頼できる情報を選択しているつもりでも、一方だけの意見を辿っていればそれに類する意見しか掘り出せず事態は悪化していく。対処するには自分の対立意見の人も意識的にフォローする事が必要だろうけど手間は掛かるのよね。

業界の定説がある程度固定している既知の疾患に関する情報であれば、ある程度は有効なやり方ではあったのかもしれない。しかし未知の危機で適用できる手法ではなかった。不適切な方法で判断のコストを省いたら、不適切な誤謬や詭弁に迅速かつ効率的に取り込まれてしまう地獄への道だったということだ。

そして実はもっと恐ろしいのは「信頼できる専門家の群れ」だと思っていたものが、碌な根拠もなければ実証データもなければ海外の報告もなければ論文もない、単なるお気持ちに過ぎない何かに付和雷同する、素人の群れでしかなかったということ自体にあるのではないか。しかもそれに日本中が乗っかった

そこに異を唱える者もわずかしかおらず、居たとしても集団で束になっていじめ抜いて、徹底的に蹂躙する。今から思えば完全に正論だったソフトバンクのPCRの提案が、それこそ全方面から袋叩きになったのは本当におぞましい光景だったとしか言いようがない。戦時中もそういう空気だったのかもしれない。

問題はそれだけではない。海外のデータや論文や収束国と蔓延国の状況などから検査拡充せずに成功する可能性が極めて低いことが明らかになったにも関わらず、検査抑制論を主導した者たちは一切反省の様子も見せず、基本方針も遅々として改善されず、同業者も学術界もマスコミも碌に追及しないのである。

どんなに見掛けが立派な集団でも、自己批判が許されない空気が充満すれば、必ず腐敗臭が強くなっていき、いつかは致命的な失敗を起こす。第二次大戦や原発事故を経験した日本が真に反省しなければならない所はそこだろう。そして残念ながら医療の世界もその空気が色濃くあるようだと言わざるを得ない。

そもそもこの未曽有の危機で指揮を担う内閣の長が、批判を徹底的に弾圧する人間であったことが、この国の不幸であったことも事実である。自分に都合の良い意見だけを厚遇し、耳に痛い意見を遠ざける。司令塔がエコーチャンバーに陥れば、勝てる戦いにも負けるのだ。

そもそも意見の違う者と論理的かつ冷静かつ事実を元に対話する経験が、日本社会全体に欠けている。対立する者とも合意できる部分は合意し、自分の過ちも相手の過ちも互いに訂正しつつ、相互の利益を増やす対話が十分行われていれば、ここまでひどい事にはなっていなかったであろうと思わざるを得ない。

それは一朝一夕にできることではない。しかし緊急時や困難な課題でこそ徹底しなければならないことである。単に論破されたり不愉快だったりすることを嫌っていては、甘言に誑かされて破滅するだけである。そして仮に過ちに気付いたならば、正面から訂正しその後改善する勇気は死守しなければならない


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