PCR検査抑制論の終焉について

PCR検査抑制論を広めた医師や専門家は、自らこれを始末しないと延々とそれに足を抄われ続けることになりますよ。PCRを抑制して感染症を制圧できるまともな理論はどこにもないし、PCRを抑制してコロナを制圧した国もないわけで、このままでは日本だけが無意味な理論で一人負けを続けることになります。

理論的にも臨床検査実績でも、PCRの精度や有用性は否定できない状態になっていますが、それでも世の中の大多数はPCR検査に否定的であったり懐疑的であったりします。それだけ、医師や専門家やメディアの発信する情報は強力であって、SNSの一部でいくらPCR検査拡充の声が上がっても拡散力はありません。

理論やデータはいくらでもあります。論文を探しても良いですし陽性率の低い国の検査実績を確認することも役に立つでしょう。しかし丁寧に調べれば調べるほど、PCRの精度の高さや、検査隔離の費用対効果の高さを証明していくことになるでしょう。

PCR抑制論を始末しないとどうなるかというと、それを信じた人が医療機関に来たときに、こういうことを主張するわけです。「症状があっても偽陽性になったら困るから断固検査拒否する!」とか「無症状に検査するとは何事か!ほとんど偽陽性になる!」とか「偽陰性が多いから信用できない!」とか。

それは残念ながら多くの場合では防疫の害にしかならない、正確ではない理解であって、その主張の説得に苦労するのはPCR検査抑制論を唱えた人達ではなくて、感染症の危険のある患者と至近距離で長時間何度も向き合わざるを得ない、多忙な現場の医療者だったりするわけです。

また抑制論を信じている人が、政治家や官僚や保健所や医師会や実務者など各所にいれば、たとえ現場でどれだけ検査の必要性が叫ばれていても、予算も拡充されず検査機材も医療資材も補充されず人手も一向に増えず、結果として検査数が遅々として伸びない上に、業務がますます逼迫する原因となるのです。

拡散の速い感染症との戦いは、指数関数的増加との戦いです。武漢、イラン、イタリア、ブラジル、スウェーデンなど、感染爆発が起きて収束に苦労したどの地域でも、最初はごくわずかの感染者や死亡者しかいなかったのです。おそらくどの地域にも、風邪やインフル程度だと甘く見た人々がいたでしょう。

しかしそれらの地域がどうなったのかは明らかです。感染拡大を放置すると、地域や気候や人種やマスクや生活習慣やBCGや自然免疫やその他諸々を最大限考慮しても、短期間で感染者が倍増していく事実は変わらないのです。それは日本も決して例外ではなく、感染者累計は10日で2倍に増える勢いです。

2倍に増える力を甘く見てはいけません。数値を並べてみましょう。1,2,4,8,16,32,64,128,256,512,1024,2048,4096,8192,16384,32768...
後になればなるほど、急激に加速していくことがわかると思います。これが指数関数的増加の怖さです。
だからこそ、今の値が少ないことは何の安心にもならないのです。

加速が速いことが根本的な問題なのです。問題はそれだけではありません。重症化率や死亡率は、大きく条件が変わらないかぎり、急に変わることはありません。つまり、急激に加速する感染者数に「比例して」増えていきます。つまり重症者数や死亡者数も、少しの時間をおいて、同様に加速を始めます。

日本で重症化率や死亡率が他国より低いという確かなエビデンスはありません。つまり日本で感染拡大が続けば、日本もほぼ確実に武漢や大邱やイタリアやフロリダのようになると思わなければなりません。それらの地域でも、人口に占める陽性者数はわずかでしたが、医療の許容量もわずかなので逼迫します。

3月4月に2週間後にニューヨークになる説が当たらなかったではないかと言う人も居るとは思いますが、それは日本の蔓延や拡散がニューヨークほどではなかったことや、そうなる前に緊急事態宣言が出て感染増加を鈍らせることができたために過ぎません。手を打たなければ似た増加曲線を辿ったはずです。

感染爆発が起きた地域の人はしばしば言います。もう少し早くロックダウンしていれば。もう少し早く対策を始めていれば。そして、まだ楽観視している世界の他地域に向けてさまざまな警告を発しているのです。残念ながら多くの地域はいよいよ病院が溢れてどうしようもなくなるまで本気にしないのですが。

さて日本はどうするのでしょうか。このままの増加が続けばどうなるか想定でき、日本で感染者や重症者や死亡者が急増すればどうなるか想像できました。将来を想定できることは人間の大きな力の一つです。いま私達は、感染者が急増してどうしようもなくなった未来を回避するための、瀬戸際に居るのです。

後になればなるほど手に負えなくなる。手がつけられなくなる。それが、指数関数的増加の本当の恐ろしさなのです。こうして急激に増えていく上にワクチンも無いのが通常の疾患と最も異なる点です。事前確率も決まった値ではなく、クラスター発生有無によって全く変わってくるのが強力な感染症なのです。

一般の精度の高くない検査では、事前確率が陽性的中率や陰性的中率に大きく影響します。しかし例外があるのです。それは検査精度がとても高い場合です。そしてCOVID-19のPCR検査精度はとても高いのです。したがって、事前確率を気にしてケチっていてよい場合ではないのです。

検査に人手がかかる、医療資源が必要になる。それはそうですが、検査せずに感染拡大が続けば検査で感染拡大を抑制した場合の何倍や何十倍やそれ以上の人手や医療資源が必要となります。予防に勝る医療は無いのです。とくに、拡散の速い感染症においては、拡散抑止が何より重要となります。

無駄な検査はするべきではない。それもそうですが、それは事前確率が一定で、他の所見から検査の必要性をある程度絞り込めて、拡散力が高くない疾患の場合の話です。COVID-19はPCR検査や抗原検査等以外の手段での有効な絞り込みが難しく事前確率も一定でなく、拡散が速い、例外中の例外なのです。

全員検査は非現実的。それもそうで、無闇な全員検査は今するべきではありません。有症者、濃厚接触者、高リスク者への検査さえできていないのが現状で、これらの人の検査をまず徹底することが最優先だからです。大規模クラスターが起きてから時間が経った後でようやく気づくようでは遅すぎるのです。

ちなみに全員検査も有用な場合があります。それは、有病率が低いタイミングで、感染拡大中心地で徹底検査を実施して、感染者洗い出しの「仕上げ」に使う場合です。中国は武漢や北京でこれをやり、無症状も含めた感染者の洗い出しを徹底した結果、新規感染を0付近に抑制することに成功しています。

一方で、自粛を長くやれば0にできるのではないかという期待もあると思いますが、これは残念ながら違います。なぜなら医療などを考慮すると完全自粛はどの国でも不可能なため、感染連鎖は続き、それだけでゼロにするには長い年月が掛かるからです。武漢も2か月以上封鎖した上に徹底検査をした理由です。

だからこそ、自粛はただ座して待つ期間ではなく、本来は検査と隔離をできるだけ徹底する期間としなければならなかったのです。感染者減と検査の両方が揃って初めて効果的な抑え込みができ、それをしないまま自粛解除すれば、以前と全く同じ経過を辿って感染者増加に悩まなければならなくなるからです。

感染者ゼロになるまで旅行や経済を控えるのは無理だ。それはそうですね。しかし旅行や経済の停滞の根本原因が感染拡大である以上、それに対処しない限りいかなる産業振興策も焼け石に水にしかなりません。ゼロにしないまでも最低限増やさないレベルに抑制する必要があります。

観光再開で腹を括る、多少の感染拡大は想定内。その腹の括り方は、感染拡大の先がかつての武漢やニューヨークであることも想定した覚悟なのでしょうか。たいていそうは見えませんし、それらの地域も必死で検査隔離して挽回したのです。結局、本当に覚悟を強いられるのは、感染者やその家族になります。

同じ覚悟なら、検査隔離の徹底の覚悟の方がよほど、医療従事者や有症者やこれからの感染拡大に怯える人々を救える覚悟になります。どのみち感染拡大が続けば必ず検査隔離の覚悟はしなければならなくなるのです。それをせずに済んだ感染拡大国はありません。それならば早いに越したことはありません。

全ての観光客や患者が感染者だとして対応する。結構なことですが、全員PPEを着て換気の十分できる施設でN95マスクをつけて徹底消毒で対応するのでしょうか。そんなことはとうてい無理で机上の空論でしかありません。そもそも人口の99%以上は非感染者なのです。検査もせずに効率的な対応は不可能です。

ソーシャルディスタンスを確保するためには、飲食店の入店人数も普段の何分の一にも絞らなければならず、回転率も悪くなり売り上げも数分の一に落ち込むのです。こんなことが全ての業界で起きつつあります。いつまでも続けられるわけがありません。感染者を見つけられないからこうなっているのです。

感染拡大は、感染者と非感染者の接触でしか起きません。しかし、感染者を見分けることは一般に困難です。たとえば東京から来た人でも実際は大多数が非感染者でしょう。それでもわずかな感染者がいるから大問題となるのです。それを精度良く見分ける方法は、どう見ても検査以外にはないのです。

発熱者は全員お断りするとか、咳や体調不良があればお断りするとかしていても効果は限定的です。なぜならば軽症や無症状感染者の割合も大きく、拡散に大きな役割を果たしていることを専門家会議も指摘しており、無症状なら自分で注意しても他人が注意しても検査なしでは見つけられはしないからです。

PCR検査には偽陰性があり見落としのおそれがある。そうですね。では検査をしなければ見落としが減るのでしょうか。当然それはありえない上に、基本的には感度も高い検査なので、ウイルス量が多く感染力の強い人はほぼ発見できると考えられます。やらない理由にはなりません。

たとえるならPCR検査は7割捕捉できる網のようなもので、網にかかればたいてい真陽性です。偽陽性率が極めて低い検査だからです。一方で、ウイルス感染初期であったり検査に時間が掛かるなどでどうしても漏れが出て偽陰性もありますが、それはどの手段でも同じですし、再検査で見つかる率は上がります。

重要なのは、検査さえすればその結果はたいてい正しいということです。検査の精度正診率、つまり検査人数に対して、真陽性または真陰性となった人の割合で決まりますが、今の日本なら無作為検査しても99%以上は正しい結果を得られるでしょう。偽陽性偽陰性は少なく基本的に信頼できる検査なのです。

もちろん100%ではありませんが、それを言うなら他の判定手段だってそうですし、他の疾患の検査でもそうです。100%であるかないかが問題になる程度には高精度だとも言えます。そして検査した上で漏れに注意すれば済むのです。むしろ検査もせずに済ませようとして被害が広がる事の方を心配するべきです。

現状、PCR検査は最も高精度にSARS-CoV-2を検出できる手段です。これ以外の手段で、人口のわずかしかいない感染者に対応しようとするから、医療にも経済にもさまざまな歪みが出るのです。感染者の発見もスムーズにできないですし、受診拒否も起きますし、無暗なソーシャルディスタンスも要るのです。

PCR検査が陰性であってもその時点での陰性を示すにすぎないという見解もあります。それはそうですが、基本的には高感度のPCR検査で陰性だった証明にはなりますし、有病率を考慮すると、その直後に陽性になったり感染したりする人はわずかとなります。もしいても有症となれば再検査すればよいです。

体調不良なら自宅待機すればよい説もありますが、無症状なら体調不良にもならないですし体調不良にもグラデーションがある上に全員が休める保証もありません。そもそも他の疾患の可能性も高いですし、自宅待機すべきでない体調不良も多くあり、検査でわかるならするべきです。

日本ではクラスター対策に注力しているから幅広い検査は不要だという説もありました。しかし問題は、日本には調査員が少ないことで、新規感染が少ない間しか追跡が有効でないため、クラスター対策を成功させるためにも、感染連鎖が広がる前に検査で捕捉することが必須です。

PCR検査はスクリーニングには使えないという説もありました。しかし世界中でスクリーニングにも使われていますし、国内でも使われています。特異度も感度も高く侵襲性も高くなく検体採取時間も短いので、本来はスクリーニングにも向きます。

他にも以下スレッドに関連のツイートを並べています。関心のある方は見てみてください。

またTwitter検索で「from:sunasaji min_faves:100」とかで探せば参考になるツイートがあるかもしれません。

さて、感染者の指数関数的増加を抑えるにはどうしたら良いのでしょうか。これは実はシンプルで、感染者が新規発生する以上に検査隔離をし続ければ良いです。全数検査をやる必要はありません。ただし、無症状感染やいままで検査の枠外となっていた分も含めた話なので、徹底検査は必須です。

資金やリソースが足りないと言うかもしれませんが、感染拡大を放置したら感染爆発や大規模自粛で莫大な資金やリソースがなくなるので、それに比べればマシです。
新規感染より多くの検査隔離能力を確保することで、収束をめざす考え方については、この記事が参考になります。

注意しなければならないのは、新規感染者を隔離するために必要な検査隔離能力は、新規感染者数が増えれば増えるほど、確保がますます大変になるということです。いったん感染爆発が起きた国々が収束に苦労する理由はそれで、検査隔離能力の増強は早ければ早いほど、相対的に効果が大きくなります。

可能な限り早期に、検査隔離に注力することが制圧のために効果的な理由です。陽性者が見つかる率が低いことを検査の無駄だとか言っている場合ではないのです。たとえば台湾は日本より検査数が少なく検査数増加も少ないですが、早期から検査隔離検疫を徹底したために効果的なコロナ対策ができています。

そして中国ニュージーランドなど、コロナ収束に成功している国々はいずれも検査の手を緩めることなく、1%以下の陽性率を維持しています。99%以上は陰性となりますが、検査をケチって感染拡大すると、検査抑制で節約できた以上に大きな被害が生じることを、よくわかっているからだと思われます。

PCR検査や抗原検査は、目にも見えず症状からわかるとも限らないSARS-CoV-2の有無を可視化するための、有力な手段です。感染者を区別せずにどのような対策をしても、それは非効率なものにしかなりえません。なぜなら感染拡大はごく少数の感染者と、大多数の非感染者の接触によってのみ起きるからです。

それゆえ、検査は最も基本的な道具であり、強力な感染症に対して検査なしで成り立つ対策などないのです。通常の診療であれば、医師が認めた検査をするのが最適であり、無駄な検査は悪であったかもしれませんが、100年振りのパンデミックが起きた非常事態では、考え方の切り替えが必要となるのです。

そして、検査隔離検疫などを徹底して感染を抑制した台湾ベトナムニュージーランドでは、経済がこれまで通り回り始めています。中国も感染拡大があった時に迅速に徹底検査して新規感染をゼロに戻す体制ができつつあります。つまり、コロナ対策と経済は二者択一ではなく、むしろ繋がっているのです。

今の日本が選べる選択肢は、検査隔離を徹底して経済回復を目指すか、これまで通り検査を抑制して健康も経済も見捨てるかという二択です。この構造がわかっていながら、あえて検査抑制を選ぶことはとうてい理性的な判断とは思えません。これが見えていなかったことが、日本の検査抑制論の問題なのです。

結局、検査隔離を徹底してコロナを収束に向かわせることが、最大かつ最強の経済回復対策になります。コロナの感染拡大を放置して経済を守れた国もないのです。健康と経済はセットで、コロナを放置して経済を回せばよいというのは幻想にすぎないことになります。

PCR検査抑制論は、一時的には検査希望の声を抑制するのに役立った面はあるかもしれませんが、今となっては無益としか言いようがなく、理論の裏付けも成功の実績もない日本のガラパゴス理論の一つでしかありません。一刻も早く撤回することが、長い目で見れば感染症から日本を救う第一歩となります。

未曽有のパンデミックの中では、知見は継続的に更新され続けるもので、WHOや厚労省や専門家会議でさえ、信頼性の高くない情報を発信していたこともあったわけで、より確度の高い情報を取り入れていくことは全く妥当ですし、むしろそれができないことを最も心配しなければなりません。

過ちの上にどれだけ仮説を積み重ねたところで、根本が崩れると全ては砂上の楼閣となります。たとえいったんは支持した仮説であっても、妥当性が失われた後もなお棄却できずに固執しつづけるのならば、他の推論も次々と妥当性を失っていくことになります。

科学とは、理論とデータの間を何度も行き来して、情報の妥当性を随時比較検討しつづけて、一時的には正しく見えたものでも妥当性を疑い得る強いエビデンスが出れば何度でも棄却して再構築を続けるプロセスによってのみ、守られ得るものです。未曽有のパンデミックの渦中ならば、なおさらです。

そして私は今でも一縷の希望を抱いているのです。普段は有用な情報を拡散していた有名な医師や専門家がPCR検査の必要性に気付いていないはずはなく、感染拡大で手も足も出なくなる前に、検査拡充を急ぐべきであるとの見解が広がるはずであると。それでようやく、流れが変わるのだろうと思います。


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