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新型コロナ対策は火消しに似ている

なすこさんがわかりやすく絵にして下さいました!

新型コロナ対策は火消しに似ている。初期に発見できればできるほどそれ以上は広がりづらいし、勢いが増せば増すほど止めることは難しくなり、止めるために必要なリソースも莫大になっていく。たとえ早く見つけるのが大変だったとしても、目を瞑ることは現実を悪化させるばかりで何の解決にもならない。

火と違うのは、新型コロナウイルスは炎も出さず煙も出さず、無症状でもあり得るので目で見てもわからないこともあるということだ。火事よりもよほど扱いづらい相手である。しかし弱点はあって、高精度なPCR検査をすれば高い確率で感染者と非感染者を判別できる。抗原検査も場面によっては有効である。

そして火事と同様に、火元(感染源)を押さえて他の物と一定期間隔離しさえすれば、それ以上広がっていくことは防げる。完全ではないにしても、勢いを大きく削ぐことができる。そして、その勢いを削ぐことこそが、日本の少ない医療リソースの許容量を超えさせないために、とても重要なのだ。

ここでしばしば「全員で警戒すれば見つけなくても対応できる」みたいなことを言う人が現れるが、見つけられるなら見つけられた方が効率的に対応できる。なぜなら火がなければ家は燃えないのと同様に、感染源がなければ広まることもないからだ。できる範囲で探した方が効率が上がるという話である。

とても簡単な理屈だ。新型コロナウイルスは目に見えないし、感染者を見ても高精度に判定することは難しい。しかし検査さえすれば高精度に感染者と非感染者を判別できる。そうであるなら、できるだけ検査で感染者を見つけたほうが、その他大多数の非感染者を守りやすくなるということだ。

たとえるなら、特殊なメガネでしか見えないゾンビが町中に倍増していっている状況を想像してほしい。中国ニュージーランドオーストラリアをはじめ、収束に近づけた国々は、メガネをとにかく増やすことに注力した。日本はメガネの精度が低いなどの理由をつけて、それなしで全員で気を付ける選択をした。

あるいは、時間がたてば数が倍増していく地雷が町中にばら撒かれたと考えてもよい。これも、数が増えてどうしようもなくなる前に、検出器を活用すればするほど、町を守ることができる。事前確率が低いうちに見つけ出せるほど良いとも言える。実際、収束国は陽性率=事前確率が低い国ばかりである。

そして、やはり火事と同じように、新型コロナウイルスの感染も、小さいレベルで抑えれば抑えるほど、人々の健康も命も守れる。日本では感染者が増えても死者数が抑えられれば良いという言説も見られたけれど、感染者がけた違いに増えれば増えるほど死者数も増えるため誤りだ。

それだけではななくて、死者数が増えれば増えるほど、経済打撃も増えていく。このグラフでは上に行くほど人口あたりの死者数が多いが、そういった国はGDPの減少割合も多い左側に寄って行く傾向がある。コロナ蔓延を無視して経済を守れた国は無いということだ。

逆に言えば、蔓延を押さえられた右下の国ほど、経済打撃も少ない。感染対策と経済はトレードオフの関係には無くて、むしろ両方守れるか、どちらも失うかの二択だったということだ。つまり、日本のウィズコロナという方針は、健康も経済も捨てるという宣言に他ならなかったのである。

そして、新規感染を押さえた国は陽性者数に対して十分多くの検査をしている国ばかりだ。グラフの色が黒に近いほど陽性率が低いが、そういった国ほど新規感染も減っていく傾向にあり、赤に近い陽性率の高い国ほど新規感染は加速していく傾向がある。日本は赤に近づきつつある。

検査数が少ない台湾が収束できていて、膨大な検査をしている欧米が収束に苦戦している理由も同じだ。検査数が足りているかは、感染者数と比較しなければ意味が無いのだ。検査数が少ない国でも感染者数より十分多ければ収束に向かえるし、そうでない国はそうでないということ。

重症者に医療資源を集中すればよいという言説もあるが、それも誤りである。なぜかといえば、コロナは広まるのが早い上に、重症者が回復するのには時間がかかるから、ベッドが次々と埋まっていく。だから新規患者が受け入れできなくなり、医療崩壊が進んでいく。

これがわかれば、コロナは多くの人が軽症や無症状なのに医療崩壊が問題になる理由がわかる。退院者はゆっくりしか増えない入院者は早く増えるからだ。この問題は医療機関を多少増やしても解決しないから、 #指定感染症から外せば医療崩壊は起きない とか #指定感染症から外せ は的外れということだ。

たとえ現在コロナを受け入れしていない病院でコロナを受け入れるようにしたとしても、感染蔓延が続く限り、全く同じ理由でベッドが埋まっていき、結局は医療崩壊に至る。従来ならば病院に行けば助かったはずの簡単な病気やケガでも受け入れ拒否されて、重症化したり死んだりしなければならなくなる。

蔓延の先には望ましい未来は無い。それは、感染者数がけた違いに増えた国々や、検査陽性率(事前確率)が高くなってしまった国々の状況を見れば明らかだ。どこもウィズコロナなどと言っていないし、風邪同様だとも到底言えない状況になっている。蔓延国ですら、何とか収束を目指そうと努力している。

逆に収束国の現状はどうかというと、検査隔離にこそ力は入れているが、それ以外の部分はコロナ蔓延前に近い状況になっている。台湾や豪州では人が密に集まるフェスも開催できてるし、経済打撃も蔓延国より抑えられている。検査隔離費用は蔓延の打撃に比べれば僅かでしかない。

ちなみにPCR検査も増やそうとしていさえすれば価格は下がっていったはずであるが、日本では検査抑制論が蔓延したがために検査が絞りに絞られてしまった。結果として世界で最も検査が高額な国になり、自費の民間検査でさえも容易に受けられない惨状になっている。

結局、医療が崩壊しながら回る経済など無いし、検査をやらずに回る社会などないし、コロナ蔓延国で開けるオリンピックなど無い。根本原因である感染者の増加を解決しない限り、医療も経済も社会もオリンピックも守れはしないということだ。これを新型コロナ対策の全ての大前提としなければならない。

を手放さなければならなくなった人。仕事を失った人。商売を失った人。家族と別れなければならなくなった人。それらの影響も、検査抑制論さえなければ、今よりはマシであったであろうということだ。それは、蔓延国と収束国を見比べれば、だれでも理解できる

さて、同じ感染症であっても、インフルエンザで世界各地で医療崩壊が連鎖するようなことは、この100年ほどの間にはなかった。しかし新型コロナでは2-3月にはすでに複数の国で感染爆発や医療崩壊が報じられていた。確かにわからないことは多かったにしろ、軽視して良い確たる根拠はなかった。

日本でだけは風邪程度の対応で良い保証もどこにもなかった。当時もそうだったし、今もそうだ。結果として日本でも新型コロナは感染者を増やし続けることとなり、コロナ禍は経済にも大打撃を与える燃え盛る炎になった。問題なのは、その勢いは桁違いに増え得るということだ。

それなのに、対策のための重要なツールであるPCR検査を叩く言論が日本では医療関係者も巻き込んで大きく喧伝され、先進各国と比較しても日本の検査数が大きく見劣りする状況が作られてしまった。結果として、検査抑制論は日本のコロナ蔓延の一因となったと言わざるを得ない。

ちなみに江戸時代から現代までも放火は重罪であり続けている。なぜなら最初は小さな炎であっても、じわじわと燃え広がれば、家を焼き、街を焼き、人を焼いても留まるところを知らず、社会に甚大な被害を与え得るからだ。新型コロナの蔓延やそれを助長するコロナ風邪論や検査抑制論も同じようなものだ。

検査抑制論やコロナ風邪論が煽ったコロナ蔓延の炎は今日もどこかで誰かが愛した人を焼いている。遺族は感染防止のために看取ることもできなかったり、お別れにも大切な人達を呼べなかったり、高額な火葬代が必要だったりもする。そんな悲劇が、ウィズコロナ国では指数関数的に増えていく

コロナパンデミック下の日本で人の命を奪うには、銃も刃物も必要ない。ただスマホでポチポチと、コロナ風邪論や検査抑制論を広めればよい。それはコロナが広がるよりもはるかに早く端末から端末に蔓延し、人の行動を変え、誰かの大切な命や健康や財産を、危険に晒し続けて行くだろう。

もしも検査抑制論が鬼や悪魔のささやきであったなら、彼らはどれほど笑いが止まらないことだろう。ウイルスを見ることも嗅ぎ分けることもできない人間たちが、科学技術の発展の末に手に入れた高精度な判定手段であるところのPCR検査を、自ら放棄するために尽力し、コロナ蔓延に協力しているのだから。

検査抑制論者の罪は、検査抑制論を世に放ったその日から、検査抑制論が世の中から一掃される日まで、消えることはない。ツイートを消してもアカウントを消しても無駄だし、むしろ一旦広めた抑制論を打ち消すことが難しくなるから逆効果だ。検査抑制論を止められる日まで、罪の重さは増え続ける。

検査抑制論者がやれることは、一刻も早く真摯に反省して、検査抑制論の一掃に尽力することだけだ。逃げても口をつぐんでも、言う内容を少しずつ改変しても無意味だ。一度検査抑制論を信じた人達は、医療や経済が焼け野原になっても検査抑制を信じ続けるだろうから。その先に収束に繋がる未来は無い。

もう日本では蔓延してしまったので今さら検査を拡充しても無意味だという意見も見られる。しかしそれは、日本より蔓延した国も必死で検査を拡充しようとしている現実が見えていないし、これから蔓延は「加速」していくのだから、少しでも早く拡充すべきことには変わりがない。

最近変異株の拡大が話題だが、コロナ蔓延国であればあるほど変異株の出現確率も高くなっていく。ウィズコロナを目指すことは、国をウイルス培養漕にしようとしているようなものだ。感染者数が増えるほど検査数も増やさざるを得なくなるし、偽陽性偽陰性も増えていく。蔓延容認は解決策にはなりえない。

ワクチンを待つしか解はないと思っている人もいるが、日本は人体にほぼ無害なPCR検査ですら他の先進国に大きく後れを取る数しかやれていない。ワクチンが迅速に打てるとは思えない。接種が終わるまでにコロナはいくらでも被害を広げ得るし、それまでの蔓延を抑えられた方が良いことにも変わりはない。

他にも検査抑制論者が言いがちな詭弁をまとめているので、一度でも検査抑制に疑問を持った人は、目を通しておいて損はないと思う。陰性証明を免罪符に歩き回るとか、陰性証明に使えないとか、陰性でも翌日陽性になり得るとか、検査の多い欧米でも抑制できていないとか。

データで見た日本の新型コロナ蔓延の現状はこちらの記事にまとめた。収束国と日本はどれくらい陽性者数陽性率が違うのか、どうすれば収束に近づけるのか。日本がコロナの収束を目指したいなら何を指標にすればよいかは、データが教えてくれる。

検査抑制論を放棄しなければならない理由は、こちらの記事にまとめた。かつて検査抑制論者だった人は、おさえておくべき内容だと思う。

そもそも検査抑制論者は当初、PCR検査は特異度が99%であるなど、精度が低い検査であるという根拠のない主張を繰り返していた。それが誤りであることは、こちらの記事にまとめた。

検査抑制論は、2020年に置いていこう。そして、日本社会が二度とこのような過ちを犯さないよう、我々は本当に真摯に反省し、改善に繋げなければならない。それでこそ初めて科学的かつ現代的な新型コロナ対策が始められる。検査抑制論は、大きな負の歴史として語り継がれていくことになるだろう。

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