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悩むのは無駄でしかない

別に悩みたくて悩んでるワケじゃないだろうけど。

世に蔓延する「悩みごと」は、大きく二つに分けることができる。一つはどうでもよいこと、もう一つはどうにもならぬことである。そして、両者は苦しむだけ損であるという点で変わりはない。努力すれば解決することであれば悩むより努力する方が得策であり、努力しても解決しないことであれば努力するだけ無駄なのだ。

森見登美彦『有頂天家族』に出てくる一節ですが、全くその通りだなあと思わざるを得ません。動くことでどうにかなるなら動けばいいし、どうにもならないのならそれについて考える必要はない。

まあ実際は、そんな話をしたところで「なので、悩むのはやめましょう。」「はい!」っみたいに解決しないことがほとんどだとは思います。そんなカンタンに割り切れないんですよね、人間。

だいたいのことがらは、それが「どうでもよいこと」なのか「どうにもならぬこと」なのか判断できません。努力することで解決するのか、しないのか分からないわけです。時のみぞ知る、みたいな。

そこで、悩んだところで状況は良くならないので、範囲を減らすために何かやってみたら?と言うのはカンタンですが…。実際に悩んでいるひとに必要なのは、そういう解決策ではなくて、もっと別次元です多分。

しかし、そう綺麗に割り切れないときには、いわば当座の気散じと言うべきものが必要で

先程の『有頂天家族』はその後でこう続いてました。悩みを誰かに話したりするのは、そういうことなんでしょう。他にも薪割りしてみたり、農作業してみたり…田舎はいろいろすることがあり便利です。

あくまでも悩むのは無駄でしかないという前提に立った上で、無駄を切り捨てることなく付き合ってやれると、少し世界が優しくなると思います。そういう世界の一部になりたい。

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