砂川文次「ブラックボックス」読んでバッドに入った

純文学はあまり読まないのだが、芥川賞や直木賞の作品くらいは読んでおけとある人に言われたため読んでみた。
読了した芥川賞作品は宇佐見りん「推し、燃ゆ」とこの「ブラックボックス」の二冊。

正直この二冊とも、私は二度は読めないと思った。
乱暴に言えば、精神的にバッドに入ってしまうのだ。
どちらも主人公がその性格故に社会と折り合いがつかず、社会的に辛い状況に追い詰められる筋書きだ。
文章自体は読みやすく、人物の心情を容易に想像できるが故に、主人公に感情移入してしまう。
社会と常識、諸々の都合が敷いたレールから外れた主人公の苦しみと絶望に対して、自分の未来を見てしまう。
自分が敷いた新しいレールの先が、実はそういった絶望に繋がっているのだと幻視してしまうのだ。

私自身、方向性は違えど彼らのように社会に対しての折り合いのつかなさを強く感じている。
レールの上を走り続ける気概も気力も私にはない。
むしろそうでない道、自分で決めた道こそが尊いものだと思っている。
だからこそその道で生きていけはしないかと模索する。
しかし、生という徒労の上ではレールを走ることが最も幸福でいられるのだと、そしてそこから外れた者は、結果的には、そのレールに立っている者へ羨望の目を向けることになるのだという感覚を覚えてしまう。

そういうわけで、今のところ芥川賞の作品を読むと100%バッドに入ってしまうため、今後は元気のある時に読むこととする。


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