愚痴について
心のなかでは愚痴だらけな気がするけれど、表立って愚痴を言うことは少ないかもしれない。
いつからかは分からないが、他の兄妹にくらべると子ども時代も親の前ではあまり愚痴を言わないほうだった気がする。(中間子だから?)
その代わり、そういうことを言うときはけっこう切羽詰まっていて、愚痴のレベルを超えて「もうダメ」みたいなギブアップ宣言になっていた。
そう思うと大人になってからは、ポロっと愚痴をこぼせるようになったように思う。人並みに「大変だ」とか「やってらんない」とか、「私だって…」とか。
ただ、それでも他者の前でそれを自己承認のために使うことだけはしたくないと思う。
まったくしていないかといえば噓になるだろう。
心を許している人や優しい人の前では自分の弱い部分をさらけ出す延長線上に、「こんな私を認めてほしい」という思いが隠れていたこともあったかもしれない。
でも、やはり「言い訳」や「愚痴」は、それ以上にはならないとどこかで分かっていたとも思う。
たまにはそんなときがあっても良い。
だけど、これからも「前向きな要素」を探し続けることをやめないでいよう。それだけが「自分の美学」となり得るかもしれないから。
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