「あべこべ」にこそ真理があるという視点
昨夜の大人の学び「Aha-エンパワーメント講座」のテーマはあべこべの心理学。
エッシャーのだまし絵「天使と悪魔」からはじまった本講座は、頭の中の既成概念「思い込み」を破壊し、あべこべに潜む真理を発見しようというもの。
基点を黒にするか、白にするかで見えるものが逆になる錯覚を体験し、いかにわたしたちの脳が刷り込まれやすいかをまず実感する。
たとえば「希望」もそう。
希望の正体を科学的に解き明かそうとした「希望学」では、「希望には、前提として失望が必要」ということがわかった。
希望には、棚からぼた餅的なことはなく、既成の希望もない。あるのは、失望からの模索であり、そこにストーリーが生まれ、それが希望の正体だという。
失望や絶望の反対側にあるのが希望という逆説。
シェイクスピアの「十二夜」は、まさにこの逆説を巧く使ったシナリオなのだとか。
蜷川幸雄さん演出の「十二夜」に登場する捨助のセリフがそれを表している。
「味方はさんざん、あっしのことを褒め上げたあげくにバカにするが、敵は正直にアホウと言う。
これ則ち、敵によって己を知ることなりだ」
都合良くすり寄ってくる友よりも、歯に衣を着せず辛辣な批評をしてくれる人のほうが、自分のためになる。
この、一見いい人については、武田鉄矢さんも善人と悪人との表現で語っていた。
善いことは、必ずしも人が好むことだとは限らない。心地よいことが善いわけではない。
だから、本気で善いことをしようとすれば、糾弾される場合もある。
だから、善人とは悪人になる覚悟がある人という逆説になるのだ。
同じく俳優の渡辺謙さんも、このパラドックスを体得している。俳優という虚業の中にこそ、真実があるのだと。
実業の世界では、しがらみや利害関係があり、人はそう簡単に真実を語れない。だけど、ストーリーや役のせいにすれば、本音を言いやすい。
フィクションをハブにして、そこに真実を宿す。
それは、シェイクスピアも信仰も同じかもしれない。
そういえば、ベストセラーとなった「サピエンス全史」では、今のホモサピエンスサピエンスが生き残ったのはフィクションを信じる力があったからだと書かれていた。
既成概念の破壊、逆説、フィクション。
こうして昨日出てきた言葉を並べてみると、これからの時代に必要なキーワードに見えてきた。
※ここに出ている事例は「Aha-エンパワーメント講座」で取り上げられたものです。(『サピエンス全史』を除く)
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