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若林正恭『社会人大学人見知り学部卒業見込』

若林正恭『社会人大学人見知り学部卒業見込』を読了した。面白くもあり心に響くエッセイだった。

この本を読もうと思った明確なきっかけというのは本当に無くて、ただ偶然目が合ったため手に取った。今から振り返って無理やりこじつけるなら、この本が発していた負のオーラに、当時のネガティブな自分が無意識的に引き寄せられたのかもしれない。

このエッセイを読んで、若林さんと僕にはいくつもの共通点があることがわかった。自意識過剰。ネガティブ思考に陥りがち。気が合う人との少人数の飲みの席が好き。根拠の無い自信が欲しい。返信する際の言葉のニュアンスに敏感。平野啓一郎を通じて分人主義を知る。岡本太郎にハマった時期がある。その他色々。

固有名詞まで一緒のものがあって、ネガティブな人というのは同じような道を辿る運命にあるのだろうかと思った。

けれど若林さんは僕と違い、このネガティブさを受け入れつつあるようだ。

そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、二十年調査した結果、それはただの穴だよ。

そうなんだよなあ、ネガティブな感情に浸り続けていてもそこから何かを変える力は見つけられない。けど浸ってしまう。性格は形状記憶合金のようなものだとつくづく思う。自分が生まれ持った金属を受け入れるのに若林さんは20年もの調査を必要としたんだから、自分もまだまだ飽きずにこの非生産的な負の感情に浸り続けるだろうと思った。けれどまあ仕方ない。同じような人がいるんだと知れただけで心が軽くなった。

そして次の言葉に、自分でもよくわかっていなかったネガティブの根源とそれを回避する術を教えてもらった気がした。

「結果」というものを唯一の社会への参加資格としていたならば、値の変動に終始一喜一憂したまま人生を送っていかなければならない。と感じた。

特別な才能がないから自己ベストを更新し続けるしかないという諦めは、僕にとって自信になった。

まさにこれだ。自分のネガティブの発端の多くは大学院での研究にあるのだが、結果がうまく生み出せない日々が続くとすぐに心が荒み始める。けれど、視点を客観的な結果を出すことから自己ベストを更新することに移せられればいいんじゃないかと思えた。そして村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだ印象もそうだったことを思い返した。

心の状態を言葉にすると少し陳腐化する。感動を言葉で説明するのはあまり上手くいかなくていつも物足りなさを感じるけど、ネガティブな感情は適切な言語化によってもっと陳腐にしていくべきだと思った。文字にすると、なんだこんなことかって思える。と言いつつも昨日もまたネガティブに陥ってしまったんだけど。本当に性格は形状記憶合金だ。元に戻ってしまえばその都度打ち直す。同時に散る火花と一緒にいつか打ち直す必要性も霧散してくれればいいなと思う。

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