『躍動するゲイ・ムーブメント』への抗議とその回答

『躍動するゲイ・ムーブメント』(明石書店)への抗議文の回答が届いたのは10日ほど前。公開の可否を尋ねたところ、検討したいということで、ようやく承諾がとれた。

下に、抗議文と回答を掲載しておく。

唯一の歴史があるわけではないことを理由にすれば、嘘や曲解で人の名誉を傷つけることが認められるということだ。

そして、それを金科玉条にするなら、なぜ第三者の確認をとったのか、誤りの指摘を受け容れる可能性があるのか、大きな矛盾。また、インタビュー内容は、挙証の必要がないのに、嘘や曲解の指摘には挙証を求めてくるという。

以前、note記事にも書いたが、「女装排除」について、私はその嘘が流れた背景を詳細に説明している(東京パレードに「女装排除」はあったか」。一方、小倉東氏はパレードに直接かかわったわけでもない立場で、伝聞による印象を語っている。

そのnoteの記事について、女装排除がなかったという見方もある、と注で紹介してることを「誠実に示してる」という。むしろ、その文章の存在を知りながら、信頼性もその嘘の文脈も一切考慮せず、しかも詳細に触れず、同列に(というより、むしろ軽視して)書くことを「誠実」とよく言えるなぁ、と思う。

そして、どちらに説得力があるか判断つかないなら、研究者としてどうなのか。

他にも、明確な間違いがあり、その嘘を小倉氏が自分のとった行動の理由とされている。つまり、その理由も当時のほんとうの理由ではないということだ。また、当時のパレードの置かれていた文脈も全く無視されている。

しかし、抗議文ではあえてどこが嘘や曲解か指摘していない。名前が出た人に全く何も確認せず(第三者には聞いたのに!)、いい加減に書いた人に、なんでわざわざ丁寧に教えてあげなくてはいけないのか。

そして、語りはいい加減なのに、間違いを指摘するには挙証が必要という。なんじゃそりゃ。

でも、まぁ、嘘や曲解を、当時の文脈も考慮することなく、語りの信頼性も検証せず書き記し、「唯一の歴史があるわけではない」ことを理由に抗議をつっぱねて、人の実名を挙げて中傷した研究倫理に問題のある本として残ればいいんじゃないのかな。

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