東京パレードに「女装排除」はあったか

ときどき目にしつつ、あまりにもくだらないので無視していたデマがある。それは、2000年代の東京の性的マイノリティのパレード(東京レズビアン&ゲイ・パレード/東京プライドパレード、以下、東京パレード)に、「女装」を排除する機運があったというものだ。

私は、こういうデマはくだらないと思い相手をする価値もないと思うタイプなので無視してきたのだが、いつまでも延々と繰り返す人がいるので(今回は「オカマルト」さんのtwitterアカウントで流れていた)、2000年代のパレードに深く関わった立場として、はっきり否定しておきたいと思う。

このままだと、私が亡くなった後、そのように繰り返す言葉が真実と思われてしまうだろうし、もし東京のLGBTQに関する市民運動を研究する人が現れたときに、こうしたデマが事実として扱われることを懸念したからだ。

このデマが喧伝されるきっかけとなったのは、私が東京パレードの3回目の立て直しのため、東京プライド代表&東京プライドパレード2010実行委員長を務めたときの私と一部の実行委員との対立だ。


私は、2000年に東京レズビアン&ゲイパレード実行委員長、2005〜6年に東京パレードの母体である東京プライドの代表、2008年末-10年に再び東京プライドの代表を務めた。それは、どれもいったん休止になった東京パレードを再建するための役割だった。

2008年末に三度目の再建のために代表に戻ったのは、2008年のパレードが実行委員長の健康問題により急遽休止になり、また、私が代表を退いた後の東京プライドが組織として立ち行かなくなっていたことによる。

ほとんどすべての理事が退任した組織の立て直し、休止になったことで信頼を失ったイベントへの協力要請をおこなうことは、ゼロからの出発ではなくマイナスからの出発だった(そうした再建を三度担った大変さも、またいつか書きたいなぁ…それが、今に至る私のメンタルと生活に大きく影を落とした)。


そんな中、2009年にはパレードではなくフェスティバルを開催。しかし、それはそれで、NHK Eテレ「ハートをつなごう」の公開収録を実現することができ、とても良いイベントだった。

そして、2010年にパレードの復活。そのパレード復活に向けた困難な道を歩む中、ある実行委員が「パレード当日、ドラァグクィーンが着替えるため、ホテルの部屋をとって欲しい」という提案をした。

2010年のパレードは、先に書いたような急な休止の流れから(1990年代からの流れからすると、3回目の休止だったこともあり)、非常に厳しい状況にあり、スポンサーの確保も難しかった。繰越金はあったものの単年度での赤字は避けたいという状況で(しかも、もともと今の東京パレードのような大きな規模ではなかった)、その提案を叶えることは難しかった。今考えると、今あるような着替えテントを設置してもよかったと思うが、その頃のパレードは真夏の開催だったため、そうしたアイディアは出なかった。

そして、司会やトークの出演者等への謝金を一円も払えていない中、ドラァグクィーンの着替え部屋を用意するのはフェアではないと私は考えた(いろんな人が出入りすることを可能とする、会場に近いホテルの部屋となると、それなりの部屋が必要となる)。

その提案を否定されたことに反発した実行委員が、ドラァグクィーンを排除しているというデマを、あらゆるところで言いふらした(きっと他にも実際になかったことがいろいろ言いふらされたことだろう)。自分自身が直接体験したことではないことを多くの人が信じるもので、少なからぬ人たちがそれを信じたことに、私は落胆した。

さらに、それを信じたドラァグクィーンの人が参加を控えてしまい、2010年のパレードはドラァグクィーンの姿がいくぶん少なくなった。それにより、「やっぱりドラァグを排除しているんだ」という思った人が、さらに増えてしまった。ちなみに、そのときの舞台上の司会の1人はドラァグクィーンだったし、もちろん、それぞれのフロート(=パレード一団を率いる車両)ではドラァグクィーンが乗っていた。


ただ、私にも反省すべき点があることは書き残しておきたい。私は、そうしたデマを広めた実行委員とうまく関係をつくれなかった。また、とても大変な再建と、早々にパレードを再開したいという面が強く、強引だった面があった。そうした私の稚拙さが、実行委員との対立を深めてしまい、その結果、デマを広める熱意を生み出してしまったと思う。

しかし、デマはデマと言いたい。もし、ドラァグクィーン/女装を排除する機運があったというなら、伝聞ではなく、具体的にどのようなことが排除のためにおこなわれたかを示して欲しい。

果たして、これまでの東京パレードで、ドラァグクィーン/女装により、「それは困る」というような注意を受けた人がいるだろうか、実行委員会側からドラァグクィーン/女装は控えて欲しいという言葉が発せられたことがあるだろうか。

2000年代のパレードでは、半裸や露出度の高い格好について実行委員会から注意がうながされてきたが、それは、警視庁とのデモ開催許可との関連で出されてきたものだ。それでも、そうした衣装ゆえに参加を禁止された人はいないはずだ(パレードへの共感の少ない当事者からは、そうした半裸への批判も耳にするが、パレードの主催者はできる限り多様な身体表現をOKにしてきた)。

2002年だったか、警視庁にデモ申請でのやりとりのときに(こうしたやりとりは、許可が出されるまで数回行われる)、先方から、半裸や女装のような人がフロートに乗ってることに苦言が呈されたときに、当時の実行委員だった春日亮二が「ゴーゴーやドラァグクィーンは、私たちの文化です。それを否定するんですか?」と言ったと聞いている。

私が2000年に東京パレードを開催したときには、フロート(と呼ぶ車両)がデモを賑やかすことがおこなわれていなかったため、そのこと自体に難色を示され、最後列に車全部をつけるよう言われたものを、理屈をこねて各梯団(パレードの200-250人の区切り)の頭に入れた。

デモを実現するために、いったいこうしたせめぎあいがどれだけ積み重ねられてきたことか。


フェイクニュースの効果は、それ自体を信じさせることだけでなく、いやそれ以上に、それを否定するために力を注ぎ消耗すること、人々に「どれがほんとうかわからない」と感じさせることにある。この話も、きっとそうなのだろう。

そのデマを喧伝し続ける人には、ファンも多いがゆえに、その言葉を信じてここで書いたことを信じない人もいるだろう。また、これを、「ゲイリブ」の内紛のようにとらえる「アンチリブ」もいるだろう(それも嫌で、これまで何も言わなかった)。

私は、そうしたことが想像されるタイプなので、自分が経験したに基づきデマを否定したにもかかわらず、とても消耗している。なぜ、デマを否定する側がこんなに消耗しなくてはいけないのだろう。

ほんと、疲れた。



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