命とお金と愛と(読書メモ:夏の終わりに君が死ねば完璧だったから)


あらすじ:片田舎に暮らす少年・江都日向は劣悪な家庭環境のせいで将来に希望を抱けずにいた。そんな彼の前に現れたのは身体が金塊に変わる致死の病「金塊病」を患う女子大生・都村弥子だった。彼女は死後三億で売れる『自分』の相続を突如彼に持ち掛ける。相続の条件として提示されたチェッカーという古い盤上ゲームを通じ、二人の距離は徐々に縮まっていく。しかし、彼女の死に紐づく大金が二人の運命を狂わせる―。抱えていた秘密が解かれるとき二人が選ぶ『正解』とは?

自分がどうしても金銭的な理由で未来を切り開けないとしたら。その金銭を死と引き換えに与えてくれる人がいたら。その人が自分の初めて愛した人だったら。そんな問いを淡々と閉塞的な田舎町を舞台に投げかけてくるそんな小説だった。

これを強く僕に勧めた人の気持ちが今は強くわかる。感情を強く揺さぶる力がこの小説にはあるような気がする。ただそこまで揺さぶられるほどの感情を自分は持ち合わせていただろうか。とてつもない苦難を乗り越えて何かを成し遂げた人のドキュメンタリーを見て、感動しなくてはならないから、感動したと誰かに吐露する、そんなプレッシャーの中、それに抗うのが面倒で感情が揺さぶられたことにしたいだけなんだろうか。

僕たちは何かを証明しないといけないと思っている。数学者でもないのに。なぜ生きてるのか、証明せよ。なぜこの人を好きなのか、証明せよ。そんな命題には目もくれずただ抱きしめればいい、涙を流せばいい、なんて甘い結末を愛する人の死とその死と引き換えに手に入れられる三億円は許してくれない。

みんな正解を求めている。チープだとしても間違ってるとしても、自分を納得させてくれる正解を求めてネットの海を泳いで、どこかから流された分解されないペットボトルのような正解に飛びつく。本当に必要なのは問いじゃないのか。間違いをおかすかもしれないけど、自分が答えるべきだ、自分が考えるべきだと思える心揺れるような問いがほしいんじゃないのか。

「難しくかんがえすぎなんだよ、君は。駒を進めろ。誰かを背負って王になれ」弥子さんが口元をゆるめて言ったような気がした。

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