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近くて遠い

「あっかわいい」
その声がした方に思わず振り返った。アクセサリーやぬいぐるみなど、いわゆる可愛いものを見つけたときの彼女の芸のない一言。でも中身なんてどうでもよくて、その透き通った鈴が鳴るような声が聞きたくて何時間も通話した夜がよみがえる。

問題は彼女のとなりにいるのは僕ではなく、ステッチの入ったオーダースーツを身にまとった、仕事の出来そうなサラリーマンだという点と、分厚い生地でできた着ぐるみを僕が着ているという点だ。今の気分と真反対のカラフルな風船を僕の右手に持ってる点もつけ加えよう。

中にいるのが僕だなんてつゆ知らず、2人は両脇に陣取り写真を撮ってもらおうとしている。ああ、スタッフよ、子供だけにしておくれよそんなこと。自然と2人に手をかけることになったのだが、着やせした男からは想像もできないほどしっかりした筋肉や骨格を感じた一方で、柔らかでしなやかな彼女の背中にふれた瞬間に、ああもう大丈夫だと思った。なにがどう大丈夫なのか分からないまま、その三文字が脳みそに刻み込まれた。

もう見ることの叶わないはずだった彼女の笑顔と赤い風船を見送ったあと、今までグズグズしていた時間を巻き戻すかのように精力的に子どもたちに愛想と風船をばらまいた。着ぐるみを着てて本当によかった。

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