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綿ニットサークル

  妊娠中、私は夫とTシャツを共有し、部屋着にしていた。お腹周りが大きくなるにつれ、男性用のサイズがちょうど良くなったからだ。そして子どもが生まれる少し前、私は夫に頼み事をした。「大学時代にテニスサークルの仲間と作った記念Tシャツを、もう着ないのであればもらえないか」と。


 私はTシャツの右脇からハサミを入れ、脇の下、肩へ切り進め、一枚の布にした。そこへ赤ちゃんのロンパースの型紙を当ててみたところ、ぴったり収まった。
 大人の男性の着古したTシャツは、すでに柔らかい。よく水を吸う。冬生まれの赤ちゃんが着る、綿ニットのロンパースにうってつけの素材ではないだろうか。妊娠中に赤ちゃん用品を買い求めるため訪れた店頭で、既製品の素材を触っていた時から、私はなんとなくそう思っていた。勘がドンピシャリと当たって嬉しかった。
 一つだけ工夫が必要だった。ロンパースは前開きだ。縫い代やボタンの都合を考えて、お気に入りの文字なり模様が入った前身頃側は、ロンパースの背中に来るように型紙を当てる必要がある。そしてだいたい無地になっている背中側をロンパースの前身頃にすると、とても都合良く収まる。
 出来上がったロンパースを着る子どもを見て、夫はとても喜んだ。「生まれたばかりの子どもが、愛用していた俺の服を着ている」と、なお一層嬉しそうだった。驚いたことに、義母も喜んだ。子どもが実家にいた頃よく洗濯した、見慣れたTシャツが孫の服になったからだ。義母は私を遥かに上回るほど器用なので、義父のTシャツを同様にロンパースに仕立てて送ってくれた。それを着ている孫の姿を見て、義父も喜んだ。


 誰かが愛用したTシャツをロンパースに仕立て直す実験は大成功だった。自分と同じ服を着る小さい赤ちゃんを見ることで、こんなにも小さな喜びを分かち合えるものだろうか。男性は父親になった実感を持つまで、女性に比べてタイムラグがあると聞いたことがあるが、シンプルに視覚的に俺の赤ちゃんと認識できると、男性陣が喜び盛り上がったのだった。
 できれば妊娠中のみんなに知らせたいとすら思ったお節介な私は、その後双子を授かった従兄弟の分までTシャツを預かって、ロンパースに仕立てた。少しやんちゃな気質の従兄弟が着ていたTシャツには、赤ちゃんらしからぬドクロや火の玉などおどろおどろしい紋様も入っており、一抹の不安を感じた。しかし、後にイカついロンパースに身を包んだそっくりの顔をした双子の赤ちゃん二人の写真を見せてもらって、これも家庭の個性かと非常に微笑ましく思った。


 ロンパースをたくさん縫って、綿ニットの扱い方に少し慣れたところで、私はさらなる実験に取り掛かった。妊娠中に私も夫と共有していたTシャツで、赤ちゃんの首が座った後に着せる被りタイプのロンパースも作ってみることにしたのだ。
 型紙を取り寄せ、裁断し、縫う。綿ニット用のバイアステープで端を包む。金色と茶色の落書きのような派手な柄だったが、可愛らしいロンパースができあがった。
 こうしてついに、私も例の『自分の服を子どもが着ている感動を噛みしめるサークル』のメンバーになれた。確かに嬉しかった。「このTシャツ、私もお父さんも着ていたんだよ」と、会う人会う人に知らせた。このロンパースは大事に保存しておいたので、次に生まれた子どもにも着せられた。家族みんな、一度は同じ服を着たことがあるという、非常にささやかな共通体験を持つ小さなサークルが誕生したのだ。


 敬愛する随筆家の幸田文さんは、父である明治の文豪・幸田露伴氏の男物の着物を自分用に仕立て直し、布が弱った箇所ができればそこをずらして縫い直し、最終的に座布団カバーの大きさになるまで使っていたという記述を読んだことがある。
 周りの女性は華やかな色柄の着物を好む中で、いつもお父様のお下がりを着る様子に、経済的にお困りなのかと声をかける人すらいたという。もちろん戦中など、経済的にそうせざるを得ない状況もあったのことだった。しかし、彼女には考えがあった。
 和服は長方形の長い布を、無駄に切り落とす箇所がほとんどないくらい、きちんと活用して作られている。その和服のフレキシブルさを更に活用したいという意思の元で、一着の男物の着物がどこまで使い切れるか知りたいという、実験的な意図もあったという記述を読んで、なるほど賢い女性だと印象的に思ったことがある。

 幸田文さんの和服を仕立て直して使い倒す発想は、間違いなく私に影響を与えている。念のため記すが、私は節約のつもりで大人の服から子どもの服を作った訳ではない。幸田文さん同様に、日常生活の中で、ちょっとした実験をしてみたかったのだ。結果は明白に出た。男性の服は、要するに単なる大きい布だ。日常的に着用する衣服が洋服になった今だって変わらないのだ。

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