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小林賢太郎さんの解任について

オリンピックの開会式の演出を担当していた小林賢太郎さんが、過去のコントでの発言により解任された。内容は、ホロコーストについてのものだった。

サンデージャポンで爆笑問題の太田さんは以下のように語っている。

解任は仕方がないが、政府や大会組織委員会はコントでの文脈を説明する義務がある。コントの中でホロコーストは善なるものという文脈で使われていない。のっぽさん(子供向けに作られてたキャラクター)が絶対に言わないようなこととして、使われていた。彼(小林賢太郎)は、ホロコーストを嘲笑したかったのではなく、のっぽさんの偽善性を嘲笑したかったのであろう。いい人の象徴のように演出されるのっぽさんが、実は何を考えているかわからないというところに焦点を当てていたのではないか。


太田さんの言うことも分かる。多くのメディアや人は、ホロコーストという単語が出てきたから悪と決めてつけていると感じる。もちろんそれがホロコーストを容認したということではないが、コントの文脈を考えないで否定することは時期尚早ではないだろうか。しっかりと文脈を吟味してから、問題を吟味する必要があるように感じる。

ただ、私のホロコーストの背景知識が不足している可能性もある。国際的な認識と日本人の認識とに差異があるかもしれない。例えば、日本人に身近な原爆の話に置き換えて考えてみたい。外国人コメディアンがどのような文脈であれ、「日本に原爆を落とすゲームをする」といった発言をすることは実に自分勝手な考えだが不快に感じる。


長々と書いたが正直何が正解かわからないというのが私の意見である。

小林賢太郎さんは解任されたが、開会式には彼の演出を感じさせるような部分もあり、素晴らしいものだった。

過去の発言(その人物の人間性)と、演出の能力どちらを優先させるかは難しい問題であると思う。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなのか、罪を憎んで人を憎まずなのか。

私は後者よりの意見である。一つの発言が全科のように扱われ、その人物の能力を全く見ないことはもったいないことのように私は感じる。

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