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THAUMAZEIN❣ 驚け❣—【中央に在る】ことで知的驚愕感を味わう、悟りと赦しを通して感じる、「癒しの美学」—

※上と下の写真共々、hanexさんの画像を引用させて戴きました。

長い題名つけちゃって(苦笑)、すみません😅端的に書けない欠点に今更ながら気づいたり…💦

要するに、ですね😅、知的に驚くとは、アルキメデスの「ユーレカ」に通ずる、コレが○○感か、と言う知的発見を意味します。

色々調べてみたんですけれど、マスハゲ風「在る」哲学とは、存在意識学の一環かと思われます。コレって精神学的にどの教えにも通じるものがあります。憶えておくと良いかも、です。


人は傷つくと、痛みながら、悲しみながら、自らの痛みを舐めながら癒していこうとする。動物もそうだろう。バラバラに壊れたハートを傷ついた自分が何とか拾い集めて、立て直そうとする。

動物が傷つくと、傷口を舐めて安静にする。静かに治癒を待つ。人間は医者に行き、安静にする。だが、心が傷つくと、すぐに心に負った傷を治す為に、直してくれる心療科の医師を探し廻る人は、多くない。そんな人には、心に傷が残り、コレは一生のトラウマになる。

トラウマは、出来たら回避したい、と思うよね。基本的に自分の心で躓く原因になるもの。だから、物事に囚われずに大宇宙もしくは父なる神に、託して、あなたに辛い思いをさせた事や経験、誰かがいるのなら、ただもう赦すゆるすのが一番。

そして、この基本的な、神に任せる方法はまさにクリスチャンの私たちの考えと同じ。同時に、マスハゲ様もそのようなお考えだったので超感激でした。マスハゲ様、有難うございます✨

そこで、考えるのは、コレが頭でピン🤩❣❣❣🤩とするのが、

出典: hanex さん

THAUMAZEIN❣

THAUMAZEIN とは、知的に驚くと言う意味だ。コレはマスハゲ様説とまた違うの。

この程度の 驚きは、驚いてビックリし、口がアングリ😲する程の驚きを意味する。知的驚愕とは、それ程の驚きに通じる。

人生で初めて知るこの感覚、何なんだ、と感じる事で、その知的認識が増えると、初めて、人は知的興味で『何故?』とか、『何処へ?』とか、『如何に?』とか、訊くのだ。THAUMAZEIN はその際の驚愕を意味する。

超天才なマスターハゲ様に学ばせて戴いた【真ん中に在る】哲学は、CHACHAにとって、実は知的驚愕レベルだ。これは CHACHAに言わせると知的驚愕の上のレベルの発見であったと言える。超自然現象や、超人間存在論はやったことがあるが、普通の人間の「在る」存在論は、初めて。

俗に自然意識存在論と謂われる哲学で、大きな宇宙の中で「自分が真ん中になって存在する」、という理論が故津留晃一氏を中心に語られた考え方だと思われる。

津留の考える現実の創造は、神ではなく自分を中心とした大宇宙の中で、あなたが自分自身と呼ぶ者が請け負った事である、と言っています。でも、原論的にはやはり大宇宙を想像した誰か、つまり神を指しているのである:

この宇宙に存在する唯一の法則が「あなたの与えるものが、あなたの受け取るもの」であると伝えられました。あなたの与えた喜びが、あなたに喜びをもたらすように、心配事は、現実にその心配事を引きつけます。あなたの自信の無さが、そのまま、やっぱりダメだったという現実を生み出しています。そしてその困難な現実を、自分の思いが生み出した事を露ほども感じていないあなたは、自分の不安はやはり正しかったと自分の認識を強化してしまいます。

【現実の創造者】BY 津留晃一© 2003

上記はまさにCHACHAがよく感じてしまう自らに否定的な物事の感じ方。コレが発象する前の時点で、神にすべてを赦して残りを託すべきであったCHACHAへのちょっとしたリマインダであり、また、バチである。

これを先に求めると、受け取るモノは何なのか。
癒しである。神が疲れを癒す為に、我が身許に来い、と謂う御言葉を謂っているが、癒しこそ、神に託し、物事を、他人を、他人の振る舞いやトラウマを赦した後に感じる事が出来る、神のお恵みである。

やれ、仕事や、恋愛が旨くいかない、誰も〇〇をしてくれない、好き彼に知らん顔されている、仕事探しがなかなか旨く行かない…。〇〇が旨く人に伝わらない…。好き彼から連絡が来ない(ま、来るワケ、無いんだけど😅)。

コレはCHACHAの何かが出来ない、思い通りに旨く物事に対応出来ない言い訳でもあったワケ。

でも、神に祈る際、神に
「託して祈るから、もう忘れさせてください、
憶えていてやれアレコレ謂って、自分を下げたりするのは、行けない、って思うし」、と祈ると摩訶不思議。
癒しが身体と心を満たす、夜の眠りが戻る、不眠が治る。

全て、赦すコト。そして、託すコト。基礎に戻るコト。

だから、
「神様。今までの事、ごめんなさい。
あなたに託しますから、どうぞ赦してください、私もすべて手から離して赦しますから。何卒、私を取り上げて宇宙で、あなたがお創りになった宇宙世界から私がすべき事をお教えください」
と頼むと、自分に責任やしがらみが無くなり、
癒しが戻る。

この基礎に戻る時、私に頭脳が謂ったの。

「THAUMAZEIN❣ (おぉっ)」、つまり、「コレか (ユーレイカ)❣❣❣」
理屈で何とか言えないけれど、感覚でわかる、精神心理。

全て預ければ、楽になる。託してしまう事で責任がなくなるから。
—誰に?
神に。大宇宙の創造主に。私をこのゾーンに生まれさせた方に。
—何を?
持っている責任を。持っている義務感を。務める職務を。全てのしがらみを。

すべて、疲れた者、重荷を負っている者よ、我が身許に来たれ。我こそ、汝等を休息を与えんとす。我は心優しく、遜り下りし者にて、汝等にも我がくびきを負いて、共に我から学ぶ事を良しとす。さすれば、汝等魂に安らぎが訪れるであろう。我がくびきは負いやすく、我が荷は軽し。(マタイによる福音書、11:28〜30)

新約聖書:マタイによる福音書、第11章28~30節

この精神心理は、神のもとにすべてを神に引き渡して、代わりに少し楽な荷を負いて、残りを神に託す事となる。マスハゲ様もご同意される、主イエスの御言葉である。

大宇宙の真ん中で漂う楽しさは、神に託して全てを赦すコトから始まるのだ。

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