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凪<フィクション>短編>

§ 4 稲麻竹葦*とうまちくい

或る朝、早朝から犬を散歩に連れて行き、朝シャワーで汗を流して風呂場から出てきたら、寵子が電話に出ていた。

嗣芙海ひでふみさん」、
先程、寵子がアイロンしておいてくれたシャツを着ていると、寵子がベッドの横で着替える嗣芙海に話しかけ、電話の受話器子機を軽く振って嗣芙海に見せた。
「ん?」
嗣芙海は電話を受取り、誰?と口を動かした。
「佐々木様からお電話です」
寵子が電話にも聴こえる声で丁寧に言った。
「お、ほぃほぃ、サンキュ」
受話器を受取り、応えた。
「佐々木様、おはようございます」
横目で見ると、寵子はキッチンで朝食を作りながら、猫と話していた。
ダイニングの近くの窓から早朝の日差しが燦々と射したが、あまり暑く感じなかった。

電話の向こうから聞こえてきたのは、佐々木の声だったが、ひどく疲れていた。
「どうも、督葉羅とくはらさん。朝っぱらから済みません」
「何かありましたか。今日のミーティング...」
「ごめんなさい、今日のミーティング、今日はキャンセルにして、来週後半まで延ばせますか...」
「ええ、大丈夫ですよ、お客様次第で―あの、どうしました?」
嗣芙海の深刻な声色に寵子もキッチンから振向いた。
「実は..、何が遭ったのか、未だハッキリとは分からないのですが、妹がウチに戻ってきちゃってるんですよ、もう離婚する、とか言い出してて」
噛み捨てる様に佐々木は言った。
「―あれ、あの...」
「それで、一応家族会議開いて、妹と結婚して、林君に自立を促す為にラヂオ屋第二号店を作ったつもりだったもので、、、
―あいつにはガックリしました。女がいたらしく、ダブル不倫、とか言っていて相手の亭主から訴えられたらしく、恐れ戦おそ  おののいていて、妹は騒ぐし、林の家から電話は入るし、凄いんですよ。で、ちょっと来週まで時間戴ければ、此方も事情がより理解出来ると...」
話が段々早口になり、家族の恥を捲し立てた佐々木に、嗣芙海は早口でそれを止めた。
「―もう、佐々木様、もういいです、了解しました」

昨日まで、今日という「〆切」に合わせて三条と散々デザインを変更したり設計書を書き直ししたりしていたが、嗣芙海の頭は、朝起きてからプレゼンの事を考えていたので、非常にピン、と張っている弓の様だった。

それが、突然のキャンセルコールに、張っていた弓が折れた様に、嗣芙海は疲れがドッと襲って来た様な気がした。併し、未だプロジェクトが完全にキャンセルとなったのではなかった。佐々木は来週木曜まで時間を貰えば、妹に弁護士を宛がい、また弁護士のアドバイス等を聴いてどう言う状況か、わかるから、10日程、時間をくれ、と言った。

嗣芙海が佐々木と話中に、今度は寵子の携帯が鳴り、寵子が返事をしていた。寵子が携帯に向かって話し始めた。
「はい、督葉羅です。ええ、あら、三条さん。寵子でーす。おはようございます。先日は、どうも。うん、有難う。何とかやっています。督葉羅、今、電話中なのよ。うん、そうね。あ、佐々木さん?」
嗣芙海が即座に寵子を振り返り、パントマイムで両手で「三条と話したい」、スケジュールは「✖」の字を作りながら、口を大きく動かした。受話器を抑えつつ、「え、ん、き」と口を作りながら、同時に佐々木の話の節々にン、ン、と佐々木の話も聴いている様子だ。

「じゃ、来週の木曜まで延期しましょう。ソレで大丈夫そうでしょうか。そうですか。ええ、大丈夫ですよ。ただ、金曜は別件が…あぁ、そうですか。有難うございます。ええ、じゃ失礼いたします」
嗣芙海が電話を切ってから、まだ電話中の寵子に電話を寄こす様に手をペラペラと振った。寵子が間を繋ぐかの様に、
「三条さん、今、督葉羅、電話終ったので、お代わりしますね、少々お待ちください」
とスマホの表面を軽く拭いてから寵子が携帯を嗣芙海に渡した。
「もしもし、ああ、おはよう、昨日は有難うございました。うん、佐々木さんね―…」

猫が「ブルちゃん席」に飛び上がって腹空きコールが始まった。
寵子が慌ててキッチンへ行き、ブルにしぃ~っと指を口に当てて小さい声で言った。
「ダディが今電話中だから、静かにして。ご飯、あげるし」
と、キャットフードを用意し出した。
すると、それを見た猫は瞬間的に声高の鳴き方を止めた。
「利口な猫だ」、
と電話で三条と来週のスケジュールを話しながら、嗣芙海は思った。

今日は洋風の朝食だった。寵子がトーストした朝のバゲットとコーヒーやチーズを使った卵料理をテーブルに並べた。朝食を口にしながら、寵子は嗣芙海に訊いた。
「じゃ、今日のラヂオ屋さんのプレゼンは延期ですか?」
「んん。そうだね」
頷き、食べながら、嗣芙海は応じた。
ホットコーヒーを一口呑んで、
「あぁ、旨いな、今朝のコーヒー」
「あなたのセレクションでしょ」
と寵子がチーズを挟んだバゲットを口に入れて、コーヒーを含んで微笑んだ。口の中のモノを呑みこんで、寵子が言った。
「それに、少しだけ、秋らしくなってきたから、かしら。
温度、少し下がって来ましたね。そろそろオフィスへ行って仕事するのも好いわね」
「そうだな。だけど、未だ外へ出なくて良い。未だ蒸し暑いしね、身体には堪える筈だ。あなたの血圧には、良くないよ」
「ご心配、有難うございます」
嗣芙海が心配すると寵子は蕩ける様な華やかな笑顔で喜んだ。
「で、何があったの?佐々木様」
お客様の名前は様付けで呼ぶ、と言う嗣芙海のルールが有るので、寵子は、例え家内でも、お客様は様付けで呼んだ。
「あぁ…。―よくわからんが、隣町に嫁いだ妹さんが突然自宅に帰ってきて離婚を叫んでいるらしい。ちょっと深刻そうで、心配だ、ってんで、話を聴いて、後程、佐々木様側から報告予定だよ。家族会議中みたいで、事は深刻らしい」
「あら、大変…」
寵子が口に手を当てて驚いた顔を見せた。

「もし、義弟の林に愛人でも居たならば、相手の女性の夫が離婚などと騒いでいるのであれば、不貞行為の訴訟騒ぎでコレは弁護士絡みだ」、
直感的に嗣芙海はそう感じた。

佐々木が妹に弁護士を宛がう、と言ったのは、愛人の夫が弁護士を使って林家にアプローチした、と言う事なのだろう。戦略的にこう言う事は突然で、相手を驚かせる。相手が望むのは、関係の解消と金だけだ。示談に運び込む為に、妻の相手を意味する林宛に、金で弁償しろ、と言ってくるだろう。相手が配偶者と別れるのであれば、猶の事だ。

林家の影響で、佐々木本家は、訴訟騒ぎで大騒ぎになる。そうなれば、妹さんは父親と孝信さんに金を工面してくれ、と頼む筈だ。個人経営のプロジェクトは、だから大変なのだ、嗣芙海は頭の中に泡が湧いて来る様な気持ちだった。結果的に金の問題になるし、家庭に金がなくなるのであれば、これからある筈の、ラヂオ屋第二号店プロジェクトが無くなってしまう危機だ。
「大変だわ」
「ん。様子見にはなると思うけどね。一応、紹介者である鳳さんに電話しようと思ってる」
「そうね。幾ら大金持ちでもそんな騒ぎだったら仕事のプロジェクトどころではないし...」
嗣芙海はリモートでテレビのボリュームを高くし、掴んでいたバター付きのバゲットを喰らい付いた。三条には坂口の宿題を先にやるように先程の電話で依頼したので、三条と居度端君にはヒマにならずに時間を使って品質の良い報告が出来るだろう。鳳も坂口を紹介して、安堵した事だろう。

「えぇ、妹さんが実家に?家族会議?うへぇ、嘘だろう?」
鳳がいつもの大声で電話で我鳴った。
「ホントみたいですよ。どうしましょうか、今は様子見です」
「あの真面目そうな林君がねぇ。人は見かけに拠らんな。で、孝信社長は何て言ってんの?」
「ちょっと時間が欲しいって...話が全く見えていない風でした。昨夜の今朝だし。妹さんと話して、お父様ともご相談でしょうし。とにかく、家族会議する様です。
今日のウチとのミーティングは、こんな事なんで、キャンセルにして来週木曜にしてくださいって事でした。ウチの方は、まだ時間的には早い段階なので、大丈夫です」
「あ、じゃあ、まだやるつもりね。ま、そうでないと困るわなぁ。…分かった。お父さんの会長さんに電話しておくよ。もう契約書にサインしているんだし、破談にはしないと思うよ、プロジェクト確定後のキャンセルは、契約上、トンでもないキャンセル料金取られるし、個人経営だったら猶の事だ。料金と一緒になんて、絶対払いたくない筈だよ。後々、信用に障るしな」
「はい」
「―悪いね、こんな事になっちゃって」
「鳳さんのせいじゃないです。それに佐々木様もお気の毒で...」
「うん。了解。後で話すよ。でも、多分大丈夫だよ」

佐々木家が家族会議の間は先々の事も任せっきりなので、仕方なく、坂口の宿題を朝に三条に話して置いた事もあり、嗣芙海は今日はヒマになってしまった。寵子が友人から貰ったりする翻訳の仕事や小さい零細からも数万取れる様なミニコンサル料を取れる仕事を集めて来てくれたりで、今の内なら何とか数か月の暮らしには問題が発生しない様子だった。

突然する事がなくなってしまった嗣芙海は、坂口のフォルダを作成し、その中で先日の貰って来た課題の内、三条に依頼したモノを除いて、大きい題材はテナント事業だな、と思った。

「ねぇ、寵子さん」
「はい?」
寵子が瞳を大きくして嗣芙海を振り返った。
「今、いい?ちょっと教えて欲しい。ホテルに於けるテナント経営ってさ、なんだかわかるかな?」
「分かるけど...、でも、同じテナント事業でも、私は小売りのテナント事業しか、知らなくってよ。同じ様でも違うんじゃないかしら」
「うん。好いよ。先ずさ、一般的に『テナント』って何か教えてよ」

「『テナント』は、賃貸に於ける借主の事を英語でテナントと云います。こう云うビジネスの場合、ちょっと意味が変わってくるの。
先ず、その沿線ホテルズの物件内で使えるスペースを借りている事業がテナントで、そのホテル物件の一部を使って、ホテル側にも何か帰って来る様な利益が入る事業が、テナント事業なの。例えば…、そうねぇ」
寵子は上を向いて考えた。
「例えば、ホテルなんかは、昔は結婚式に使われたりしたわね。そう、結婚式。TKホテルなんてそうよね」
と最大手の名を挙げて話した。
「歌舞伎役者が結婚式をあそこで挙げるじゃない?すると、会場代金が直接のホテルの収入で、ホテルの中にある美容院とかと、タイアップして、このホテル会場で結婚式をあげたら、結い上げは何%、馳走は何%、着付けは何%安くします、とかね、それで入るお金がテナント事業、かな」
「なる程」
「そう。着物なら貸衣装とか。後、高級レストラン、本格的なバー、シガークラブとか。でもそれは六本木当たりの高級ホテルだから...結婚式は沿線ホテルズはやってるのかご存じ?」
「知らないなぁ」
嗣芙海は調べないといけない、とメモした。
「―やってるんじゃないかしら。ブライダルって結構なマーケットよね、今時」
一緒にインターネットで見てみると、確かにブライダル会場の貸出は、やっていた。結婚式のお世話の方は、『ブライダルチーム』がやっていて、ブライダル営業もいるのだろう、価格によってコースなどが設定され、会場別にサービスに差をつけて、沿線ホテルズの各ホテルで価格付けが変えられていた。

坂口の部下からリストを貰い、ホテルのテナントの業者を探し出し、ホテル内のブライダルセンターのサイトを見つけた。イベント毎のブライダル会場貸出は、ホテルにとっていいサイドビジネスだ。

ホテル側のキッチンがブライダル営業と組んでケータリングを絡める場合はさらにホテルのキッチン側のマネージャである料理長トップシェフがメニューなどについて対応し、幾らかを割り増しで貰うなど、結構な商売だった。ブライダル営業は、外から結婚式の目的だけでホテルの会場を借りたいお客様にブライダルチームと共に対応する。

場所代としての会場代金が、まず、ホテル側の純収入だ。ホテルに出入りする美容院や他の実際のテナントを使って結婚式のプロジェクトを成功させるには、ホテルの全体的なコストも随分影響を受け、花婿と花嫁の初夜などをブライダルスイーツで過ごさせるなどして高額のホテルルーム予約などを含めて、セット料金にする。そうすると、結構な収入になっていた。

ホテルでテナントとしてブライダルを実施する場合、ちょっとした関連営業と言えるだろう。ヘアサロンも、ケータリングビジネスも、二つ各支店で営業する別テナントがある。ホテルは別々のテナントを巻き込んでブライダルチームを作っているので、ホテル内のテナント全員が何かと潤う事となった。

嫁さんの頭のてっぺんからつま先まで、憧れの一日を過ごす為に費やすお金を儲けにするワケだ、と嗣芙海は思った。そう言う点で言うと、年を取ってから結婚すると、儀式的には非常に地味なものになるだろう、と実際の経験から嗣芙海は感じた。督葉羅家の斎言いわいごとで寵子と結ばれた際も、寵子は結婚した事はなかったが好い年でもあり、大袈裟にしたくないと言っていたし。白無垢でこちらに向かってきた寵子が嗣芙海の目に浮かんだ。

これらの集合体をすべて結ぶ為に、ちょっとしたオンラインのネットワークを結び、余計なIT費用を抑えたらどうだろう、と嗣芙海は感じ、坂口に新たなネットワーク開設の提案メモを書いた。

寵子のアドバイスを聴いて実際にTBT線沿線ホテルズのサービスや経営資産を調べ、坂口にも資料を廻して貰い、現実的なIT系のコンサルとしてのコメントを同様に色々と加え、換算やSEのIT系の資産についての助言等、全て三条と相談し直し、居度端君にも追加文書を作成させ、嗣芙海が確認するなどで、1週間半はあっと言う間に過ぎた。

坂口は、文書や詳細を訊いてくる嗣芙海の話を聴くだけで、良い印象を嗣芙海に持っていた。別プロジェクトが少しクライアント都合で時間が空いた、等と聴いて直ぐに、
「では、ついでにTBT沿線ホテルの一つ、国際大学近くのホテルで、よりITに力を注いだテナントを追加したい」
との提案を坂口が加えて、嗣芙海が三条をEPMとしてプロジェクトに追加して、このテナント経営プロジェクトについて、坂口が合意した。

詳細に亘る沿線ホテルズの経営資産について、またその内のIT資産について嗣芙海が坂口の専属EPMコンサルとなる契約を署名してくれた。こうなると、コンサル料金はもう少量ではなかったので、それなりにコミットしなくてはいけない。坂口の自宅のオフィスに籠って相談を重ねる頻度も増える事になった。

嗣芙海が坂口のコンサル職として、実際に協業する事になり、坂口の下で実際に使われている他のコンサル職とも会わせて貰い、色々なアドバイスを得て、坂口のグループ内外の仕事に嗣芙海が出て来る頻度が増やされた事で、佐々木のプロジェクトが無くても生活的に支えられる事となった。

嗣芙海としては、寵子自身には一緒に働いていたとしても、決して「頼る」つもりはなく、自分の責務が増える事で収入が増え、ホッとした。

翌週半ばにもなったので、佐々木の携帯電話から連絡が嗣芙海に入った。
「佐々木様、様子は如何でしょうか?」
「督葉羅さん。本当にご迷惑を...」
「いや、そんな事は、お気になさらず。まず、プロジェクトはどうなりますでしょうか」
「再開してください。妹は離婚するそうですので、一応、家族の弁護士と話をしています。また、コレは妹夫婦間の事ですので、その弁護士費用等については特に私の方のプロジェクト費用の関連部分には全く影響ありません。それは確認してあります。問題はないです。また、第二号店舗については、今まで妹の夫が店長となっていましたが、今後は林自身が家族経営のビジネスに無関係になりますので、変更となります。次の責任者を決定するまで、わたくしがグループ社長として二店舗について責任を持ちます」
とはっきり佐々木は語った。嗣芙海は鳳への報告を兼ねて本件について佐々木の言及をメモしていた。

「-当初はちょっと妹のパニックのせいで状況が読めませんでした。また、ご迷惑をお懸けしました。申し訳ない事でした。併し、状況が呑み込めた今後は、先に決めたとおりのスケジュールで実行して大丈夫であることを父である会長とも確認済です。今後共、宜しくお願いします」
「そうでしたか。分かりました。色々ありますが、共に協力して一緒に本件を成功させたく存じます」
「有難うございます、督葉羅さん」

金曜は、坂口の日だった。坂口は既に自分のグループの部下と鳳から、嗣芙海の調子よく広がりつつあるEPMエンタープライズプロジェクトマネジメントと三条のPgMプログラムマネジャぶりの報告を受けている、と話した。

嗣芙海は頭は低く、検挙ではあるが、同時に自分の考える斬新な目の付けところで、EPMを引っ張って来ていた。週末に、寵子も同席したビジネスディナーで、是非とも、坂口の個人コンサルとしてお願いしたい、と坂口から正式に個人コンサルの依頼が来た。

今まではパートで依頼されたコンサル業だったが、坂口の絡む場所全てに絡んでいいと言われたので個人コンサルとして坂口の相談相手になるワケで、結果的に受け取る額面と幅共にスケールの大きな仕事となった。寵子は目に涙を浮かべて、嗣芙海と共に喜んでくれた。

今後は出張もあるので、と、金曜の夜は寵子も坂口に招待され、一緒に坂口家についていき、坂口の家族に正式に紹介された。

家族、と言っても、妻の茗子めいこと坂口の息子、秋太朗しゅうたろうと寵子と嗣芙海で坂口とともに女中の篠が作る美味しい夕餉を共にした。

坂口の妻の茗子は、背が高く、恰幅の良い坂口の背格好にピッタリ合った背高の女性だった。坂口よりずっと若く見えるが、実は坂口によれば、自分と年齢は変わらないそうで、小紋の訪問着で嗣芙海と訪問した寵子に比べて洋装で、長い黒い髪を上の方に一纏めに結っていた。表情的には年齢不詳の美魔女の様なツン、とした女のイメージだったが、挨拶と話をしてみると、気さくで気取らない女だった。

茗子は寵子を甚く気に入り、いつか、一緒に買い物でも、と誘われた。
寵子は持っている金の桁数が違うのではないかと心中疑いつつ、
「まぁ、是非、喜んでご一緒しますわ」、
と外見的には、にっこりと鷹揚に同意した。
嗣芙海は寵子の声を聴いただけでその気持ちが耳で聴こえるかの如く分かった、と話しながら帰りの車の中で大笑いしていた。

それ以降は、嗣芙海にとって多忙な日々が続いたが、全ては彼にとって、新たな学びとなった。坂口の自宅のオフィスは、出入り口が別途付いていた、ビジネス塾のような場所だった。嗣芙海は坂口から総合的なビジネス学を学んでいるかのような気がした。

坂口の朝型の性格もあり、朝8時半から坂口と週に三日、一日置きに彼のオフィスで坂口の関わる事業、その事業方針、沿線ホテルズの経営方法などを聴いて、学んだ。たまに坂口の依頼で各ホテルに坂口と帯同し、遅くまで坂口の実際の仕事ぶりを実際に見て経験し、メモや他の関係者への質問なども出来た。

寵子は嗣芙海の相棒として、三条や居度端君の職務支援だけでなく、坂口のオフィスにいる嗣芙海に、多角的な必要サポートを適宜必要な分だけ、彼に与えた。無理のない裁量ぶりや嗣芙海が寵子のサポートを得る事で心理的に安定する様子を見て、坂口も寵子が嗣芙海になくてはならない片腕としての存在感が分るようだった。

嗣芙海は、寵子のそんな手に届くサポート感を得ながら、佐々木と一緒にラヂオ屋第二号店舗のPOS開発と本店の連携等を実際に鳳のパークウェイ開発のエンジニアやリードの三条と居度端君をお客様対応のコンサルとして出来得る限り、後ろから支援した。

日々が早く過ぎていた。もう秋が深まりつつある頃、突然、佐々木の父でラヂオ屋会長が、嗣芙海を訪ねてきた。

(つづく)


*稲麻竹葦とは:  稲、麻、竹、葦(あし)が同じ場所に群生していること。 転じて、人やものが多く入り乱れているさま。 また、いくえにも取り囲んでいるさま。


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