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凪(フィクション>短編)

§ 5  秋口

暑い夏の終わりが度重なる台風や肌寒い夜明けの室温などで感じられ始めていた。

佐々木義信ささきよしのぶ会長は、和菓子のお持たせを寵子に手渡し、嗣芙海ひでふみのオフィスの応接に嗣芙海を訪ねて来ていた。孝信たかのぶは一緒ではなく、義信氏一人であり、何かあるのか、と嗣芙海は思った。

今日は涼しいので、久々にオフィスに出て来た寵子ちょうこは、上質のお茶を入れ、管理会社の間波磔まばたきさんらに許可を得て置いて、彼等と一緒に遣う共有応接の上室に義信を通してくれた。

「良いものを戴きまして」
新茶の新しいものを入れた客用湯呑を載せた茶托を義信氏の前に置き、お盆を抱えて微笑みながら寵子が礼をした。
「いや、奥さん、お騒がせしちゃってねぇ。全く以て恥知らずな事で。林の件で、御迷惑をお懸けしておりまして」
「トンでもない事でございますわ。―今、督葉羅を呼んで参りますので」
軽く一礼した寵子が応接のドアを開けたところで、嗣芙海がニコニコしながら入室した。寵子に有難う、と微笑み、嗣芙海は扉を閉じた。

「わざわざご足労戴きまして。今日は孝信社長は...?」
「孝信は今日出張中です。今日は、埼玉のショッピングモールに第3号店舗に好い物件がありまして―」
義信氏が咳払いした。
「ほぅ、じゃ、大丈夫そうですね」
「ええ。もう全然大丈夫です。お騒がせしちゃって、すみませんでした」
日に焼けた義信が頭をコクン、と下げて謝った。
「いや、良かったです」
微笑ながら茶を呑む義信氏を見ながら、嗣芙海も茶を呑んだ。
―同じ動作をする人物に、相手は隠し事無く話をし易い、
と今朝、寵子が嗣芙海が運転する車内で人間心理学について話していた。義信氏の動作をさりげなく真似しながら共に茶を呑んだ。

義信氏が茶托に茶碗を戻して、話し始めた。
「林の方の離婚騒ぎは、ウチから林の実家と話をしており、相手の旦那さんの対応をする代わりに此方への弁償もそれなりにして貰います。経済的にも、財務的にも問題はない事が弁護士や会計士を通じてハッキリしました。
   孝信は現在、ラヂオ屋を関東で展開するための店舗開拓に、真剣に挑戦しています。私は、父として、同僚として、孝信の希望を叶えよう、と日々努力しています」
嗣芙海は黙って傾聴していたので、義信氏は、続けた。
「―今日は、督葉羅社長に今後の事を相談しようと、参りました」
「プロジェクトの事をご案じでいらっしゃるのであれば、日程に問題はないですし、御心配には―」
義信氏は握りしめていた手を開いて嗣芙海の言葉を止め、右手を左右に振った。
「心配はしていません。大丈夫です。実は、さらにご依頼があって、参りました。今回、プロジェクトとしてご一緒に仕事をしていますが、正式に私自身の投資財源佐々木ファンド株式会社と孝信のラヂオ屋のグループの主要コンサルになって戴きたい、と参りました」
鳳が依頼してくれたのか?と思いながら口を開けたまま、嗣芙海は考えた。

義信氏が唇をなめて、さらに続けた。
「鳳君の所の開発と組んで、色々やっていらっしゃる様で、鳳家とは、随分長くてね。鳳君はいわゆるコンサル業を正式には受けないのですが、私には長い付き合いでアドバイスを続けて来てくれました。
    が、最近さらにまたコンサル依頼したら、コンサル業はあなたが適職だ、と鳳からお聴きしています。最近、沿線ホテルズの坂口会長に非常に気に入られ、個人的なIT投資コンサルを開始したとお聴きしています。あの人はなかなか難しい方ですが、あなたは非常に的確なポイントで対応している、と坂口会長がご満足だ、と鳳君が言っていてね。
      ご相談したい事が、山程、あるんですよ。弁護士を含め、色々な識者のお話を聴いて、息子の仕事や私の投資対策を成功させていきたく思っています。私等にもコンサルをやってくださいますか?」
「―義信会長、嬉しいし、是非、させて頂きたいと思っていますが、私はご存じの通り、坂口様のIT及びIT投資についてコンサルとして対応させて頂いています。今、まだまだ一丁前のコンサルとして出来てるわけでなく、未だ坂口様の事業を全て検証中であり、グループについてお勉強させて頂いています。私はまだ一兵卒ですが、こんな私で宜しければ、是非。但し、時間的に非常に忙しい為―」
「―私達も時間的に忙しいのでね、毎日なんて言いませんよ。時々時間を作って下されば、有難いです。
    小さい私等のグループで、IT化して自動化する帳簿を持ちながら、事業をどう生き残させるか、ってのを真剣に考えています。相談、乗ってください。契約書を鳳さんの所に依頼して作成させて、お送りしますから、料金とか、気に入らないモノをあなたの額面で直して戴くなり何なりしてください。時々会って下さるだけで、光栄です」

義信氏が寵子と社内に居合わせた三条のチームに明るく笑いながら手を振ってオフィスから帰途に着いた後、寵子が応接の片づけを済ませて、オフィスに戻って来た時に、嗣芙海は言った。
「義信氏、個人的なITコンサルになってくれって」
「妹さんの件も何とかなりそうと 仰っていらしたわ。感じの良いオジサマね」
寵子は微笑んで嗣芙海に言った。
「―良かったわね。あなたなら何でも出来てよ」
「―ん、頑張る。忙しくなるな」
「手伝うわ」
三条と居度端君も弁当を食べながら、おめでとうございます、と新しい仕事が入って来た事を喜んだ。
間波磔さんがにっこりしておめでとうございます、と言いながら拍手をした。皆に嗣芙海は礼を言った。

寵子は序でにアイスコーヒーのボトルを三条と居度端君に運んでいた。
「ん、だが―大丈夫かな。寵子さんの具合がまた悪くなったら、元も子もないし。其処まで仕事が増えてもなぁ―」
寵子は、言った。
「危篤みたいな状況にはならないから、大丈夫よ。気分悪くなったら直ぐ帰るわ、お約束です」
と小指を立てて笑った。
コーヒーを受取って三条が、食べていた寵子の手作りの弁当を突きながら、
「寵子さん、美味しいですけど、ご健康の為に、お弁当はもう作らなくて、大丈夫です。僕と居度端君で昼については俺らが自分で対応出来ますし」
と寵子に言った。居度端君と三条はニコニコと笑いながら、後ろにいた寵子に弁当の美味を感謝した。寵子は喜んでいたが、昼前に寵子が三条に手作り弁当を渡した際、いつもに似合わず苦虫を潰した様な嗣芙海の顔を見逃していなかったから、嗣芙海の前で敢えて言った。嗣芙海は、眉毛を少し上げて下を見て、
「まぁ、寵子さん、あなたはハッスルし過ぎない様に」
と言った。
寵子は、はいはい、と笑った。三条と居度端君が嬉しそうに笑った。


坂口から電話が入り、今日は自宅オフィスにいるので、夕方まで来ないか、と言われ、嗣芙海は坂口の自宅のオフィスに呼ばれて行く事となった。

坂口が自分のホテルの事業について説明をしている間も、チャットやメールなどで嗣芙海が連携出来るように自分のネットワークを通じてコミュニケーションラインを新たに作ってくれたので、坂口のところに居ても嗣芙海は自分のチーム、即ち寵子や三条、居度端君や鳳チーム、現クライアントである佐々木などと連携が出来る様になった。何かあれば連絡はどうとでも入れられる様になった。坂口のホテル側でも従業員で対応するPCラックやネットワーク担当者は嗣芙海と連携出来る様になり、沿線ホテルズがどのようなネットワークでどうITを結んで繋いでいるかも、これらの担当者や三条と居度端君を通じ、わかって来ていた。

今日は坂口が今までのITインフラ投資について、説明を考えており、そのために今までの会社の経緯などを話しながら、投資について坂口が何を思うか、等について触れていた。

説明が一頻りしたところで、コーヒーしながら雑談していると、思いついた様に、再来週の祝日連休に、坂口のホテルの一つへ宿泊して欲しいと言う事を坂口が提案して来た。

「ホテルの中を見せたい。改装したばかりなので、綺麗だし、是非泊ってほしい。奥さんとペットやご友人数名を連れて泊りにいらっしゃいよ、再来週末は幸い祝日週末で4日間、連休だし、私が案内しますよ。鳳君にもいらして貰う積りなんで、温泉からゴルフまで、色々楽しめますよ。御招待しますよ」、
と誘われた。

嗣芙海は、ペットを連れて泊まれる様になったと聴いて少し驚いたが、確かにTBT沿線は通勤・通学にも使われるが、同時に都心から離れるK範市などは観光客が多い「都会から電車ですぐの片田舎気分」がキャッチになっていて、ドライブしながらでも、TBTの県外沿線ライナーでも行ける非常に便利な場所だった。

寵子と暮らすようになってから、この沿線に暮らすようになった嗣芙海は、昔のこの沿線については全く知らない。だが、開発が進んだ事で、都内TBTJ沿線は安全なベッドタウンで、一時間以内に都内に通勤が可能となる事と、地下鉄線が乗入れとなり、さらに便利になった事を寵子から聴いていた。

都内に近いTBTJ沿線の各駅はみなサラリーマン家庭の小さな鉄筋コンクリートの持家やショッピングモール、病院や老人施設などなどが並んでいたし、遠路を行くTBT S京ライナーは、AK川や美しいS京山脈の景色が電車の窓から一望出来、安価で旅行に使える路線である。

県外の観光地へは、TBT S京県外沿線ライナーに乗れば、千円足らずで都内から一時間弱で遊びに行ける場所であり、温泉やゴルフ場、テニスコートやスポーツクラブもあり、ペットまで連れて行けるとなると、便利で色んな客が来るだろう。ホテル内に獣医も駐在させる、と坂口は嗣芙海に言った。

自宅に帰ってから寵子にその話をしたら、寵子ははしゃいで飛び上がって喜んだ。
「あら、素敵。是非、行きたいわぁ。ブルちゃんやタロを連れて行けますのね? 素敵。楽しみだわ。旅行って随分、久しぶりですもの。二人で二匹を連れて散歩しましょ。今週末?いつかしら。是非、行きたいわ」
「大した旅行じゃないけどね。仕事の延長線であるし、ライナーに乗って数十分だし、たかが4日間のホテル暮らしだし。でも、坂口様のご親切なご招待だし、三条も誘えと言われて、チームのみんな来ることになったから社内旅行みたいだしさ。
    さっき、話したら二人とも乗気でね。居度端君は彼女連れ、三条は奥さんと高校生の娘を連れて来るらしい」
と嗣芙海は笑った。
「あぁ、奥さんと娘さん、あけみちゃんでしたっけ。ウチのタロ君とブルちゃんがお気に入りよね」
寵子が笑って嗣芙海に背中から抱き着いてソファの右横に落ち着いた。
寵子は嗣芙海の顔を覗き込んで、ニッコリ笑った。
「きっと楽しい旅行になってよ」

あっという間に二週間は過ぎていった。坂口のスケジュールに合わせて沿線ホテルズについてのイントロ講義を受け、この都合もあって、鳳が間に入ってプランを決めて、嗣芙海が佐々木義信氏へのIT系コンサルとして初のミーティングは、秋口の10月ごろから、と言う話になった。

時間的なプランを先延ばしする事で、実際のもともとのラヂオ屋グループプロジェクト案件もストレスなしで最初のプラン通りに進行し、第3号店舗もプロジェクト範囲に入ってゴーライブを遅くにするかも知れないと孝信氏から示唆があり、嗣芙海の担当する業務はいよいよ多忙で手一杯になって来た。

が、三条と居度端君が昔の絡みから周囲の手が空いたエンジニアなどを鳳承認でバイト扱いで選びこんでプロジェクトに一時的に連れて来て、支援が頼める事にしてくれた。義信氏の方でも、善処してくれて人件費を承認して直接対応してくれたりして、変な雑務が減り、有難く案件が拡張した。

世の中は狭いもので、坂口会長と義信氏は既に鳳を通じて紹介されており、知合いで、県内の財界人として良くゴルフなども相伴していたと言う仲なので、嗣芙海チームの沿線ホテル滞在中に一度、皆でゴルフでも、と言う話になった。男性陣が営業ゴルフ中は坂口の妻茗子の提案で、寵子らの家族チームと一緒にショッピングとお茶でも、と言うプランになった。

休日絡みの週末を沿線ホテルズの改装新規開店の記念パーティが金曜に都内の沿線ホテル本店で開かれた。嗣芙海は寵子と共に招待された。あまりドレスコードが厳しいパーティでは今一つ、楽しめない嗣芙海だったが、意外にも坂口が招待したこのホテル改装記念パーティでは、ドレスコードがなく、大体の出席者が坂口のチームの面々で、坂口が出席者を嗣芙海や寵子に紹介してくれたので、二人に坂口のチームの面々が分かってきて、その後数時間もせずに改装完了を皆で乾杯して数名の招待された著名人の挨拶などをしてから散会となった。

翌日土曜朝の10時ごろに沿線ホテルズのUK駅前店のフロントカウンター前に集合となった。幸い、TBTJ沿線の寵子のアパートメントハウスからUK駅までは、256号線をまっすぐ上がってから普通道路で大体1時間半弱程度で到着出来た。

三条と妻の真美子まみこ、娘のあけみ、居度端君と居度端君の彼女、大橋累子おおはしるいこを最寄りのKF駅で拾い、4輪駆動の大きなジープでこの5人と嗣芙海と寵子、猫のブルと犬のタロを連れての大移動となったが、ちょっとしたバカンスのドライブみたいなもので、皆、嗣芙海が運転中に好きに喋ったり持参したお菓子などを交換したりして楽しく過ごした。鳳は妻弥生と二人で車で来る予定だとの事だった。

(つづく)



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