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猫は考える時も猫語であればいい

初めて福岡市動物園を訪れた。
ヤマネコがギャラリーの正面からは見えない位置の柵の上で延びていて、何か強い意志がきっとあると信じたくなった。
自分を観せることで仕事になる点でいうと、人間にもそういう仕事はある。だけれど結局自分と同じ種なので、ある種の嫌悪感か羞恥心みたいなものが感じられ、観覧するのもちょっとだけ苦手だ。
対象の脳の中に、自分に分かり得る言語で構築された思考がある。それがきっと苦手の原因だと理解している。
「分かり得ないから心から愛せる」みたいな感情の存在を認めてくれる同志もいくらか居るんじゃないかな。

ところで昨日の昼食に盛岡冷麺、本日の夕食に揖保乃糸をいただいた。
またこんな季節が来た。

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