emi

1980年代生まれ。喋り言葉は関西弁風味。人間より犬が好きだった。今は人間も好き。物書…

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1980年代生まれ。喋り言葉は関西弁風味。人間より犬が好きだった。今は人間も好き。物書き。絵描き。

最近の記事

意味なんて考えない方がいいこともある。

「ご先祖様は大切にしないとね!」 なんて私から出てくる言葉は嘘のかたまり。かたまりとまで言ったらそれこそウソなのかもしれないが、私には残念ながらそんな良心は持ち合わせていない。ごめん。 しかもだ。 両祖父母、そして父はもう亡くなっているのだが、生前楽しませてもらったり甘えさせてもらった記憶がたっぷりあるくせして、お墓に手を合わせてありがとう、は形だけ。傍から見れば”ご先祖様を大事に想う良い子”だ。私の得意技「いい子ごっこ」。 だって。 だって本人が目の前にいないのに

    • あなた「が」いいのと言ってくれるそれだけで。

      話したくなるんです、誰かに話し聞いてほしいなって思った時に一番に思い出したんです! 素直に嬉しかった。私を思い出してくれたことが。もちろん即返事、いいよ!と。 いいよいいよー、なんて軽く返したにも関わらずやっぱり押し寄せてきた不安。わたしなんかでいいの?なにも答えなんて持ち合わせてないよ?なぜわたしを選んだの? 出た、不安屋さん。私のいらない十八番。 これでもかというくらい不安要素はあった。でもそれを上回る「聞きたい」に軍配を挙げた自分を褒めてあげたい。 時間を決め

      • 子供のころに夢中になったものこそが、本当にやりたいもの

        しっくりこない。 小学四年生の時の係決めの時に沸き起こった、わたしの中の悶々。生き物係や学級委員、音楽係など迷うほどに候補はあったけれど、どれもしっくりこない。それでも挙手をし決まった”わたしの係”。なんかつまらない。 聞き慣れた、時間を区切る音が流れる。 と同時に閃いた、 「新聞を書きたい!」 一緒にやってみないかと声をかけた子は、当時特段仲が良かったわけではない。クラス替えがあって即始まった係決め。席の後ろの子、互いの姉同士が仲が良かったというただそれだけの理由

        • どんな自分でも堂々と生きたもんがち。

          「自由でいいね」 と言われるわたしでいられるのは、今の環境のおかげ。人の目を気にしないでいられるから、ココにいるのだ。 「人の目なんて気にしてたらしゃーないやん。」なんてヘラヘラして言うけれど地元に住みたくない、実家に帰りたくない理由は人の目を気にするから、だ。 そう、人の目を気にしているのは紛れもなく自分自身なのだ。それは根っから人の目を気にしないで生活できるようになってこそ、の台詞だし直さないといけない課題ではある。 今の環境はもしかしたら作られた自分なのかもしれ

        意味なんて考えない方がいいこともある。

        • あなた「が」いいのと言ってくれるそれだけで。

        • 子供のころに夢中になったものこそが、本当にやりたいもの

        • どんな自分でも堂々と生きたもんがち。