「私の家政夫ナギサさん」一片の悔いのない人生というワードへの違和感

表題のドラマ「私の家政夫ナギサさん」で度々登場するこのセリフ

なんだろう聞くたびに胸がぎゅうっと締め付けられたような気分がする。

そもそも一片の悔いもない人生を送っている人っているのだろうか。

というかそんな人生幸せなのだろうか?

自分の人生は振り返っても悔いだらけだ。悔いのない瞬間が存在しないと言っても過言ではないくらいだ。そもそも今も3時まで起きてこんな記事を書いている。これ、きっと朝起きたら後悔する可能性が高い、いやきっとする。

自分は後悔してばかりの人間だ。夜辛くなることも多い。だけど悔いのない人生と言える人間は、きっと今日も明日もどこかで誰かを傷つけている。私はそう思う。

人は想像ができる動物だ。でも自分が経験したこと以上に強く共感したりリアルに想像することはできないものだ。だが、想像できるという人間の強みはしばしばこの事実を我々に忘れさせる。そう、それが悲劇の始まりだ。

優しさは知識だ。過去の経験、悔やんだ経験、辛かった経験があると人には幅が生まれ、優しくなり、柔軟性が生まれる。おそらく悔いのない人生を歩んできた人はとても強く自分に厳しくできる人なのかもしれない。だがその強さは時に人を深く傷つける。

自分は挫折したことがない。そんなことを面と向かって言われたのは3年前のことだったが今でも忘れられない。まあおそらく挫折を経験しない人間もいるのだろう。だがそんなことが何になる。まずそれを人前で口にしてる時点で、なんだか残念な人間感がプンプンする。なのに本人は全くそれに気づかずそれを口にできる、もうそこから自己プロデュースは失敗している。でもそれに気づけない。それが挫折を知らない人生の代償なのだろう。

挫折は辛い。悲しい。言葉で言い表せないほど思い悩み辛い日々で、次にそれを乗り越えられるか不安でたまらない。でもその気持ちを知ると人に優しくできる。冷たい言葉など投げかけられない。そう、挫折は人に優しくなれる。その優しさはきっといつか自分に返ってくる。



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