『瓶詰』 二葉目

 第二の瓶の内容

 どのようにしろ、こうして手紙を書くというのは初めてのことです。どうにも難しいものだと書き始めて気づきました。
 貴方の手に届く頃、それは何時なのか皆目見当も付きませんが、きっと届いているということには間違いないのだと思います。なので、恭しい挨拶もここでは省略させて頂きます。その方が堅苦しくないでしょう?


 さて、このようにして手紙を書いたのにはとある事情故でございます。その事情というのが非常にやっかいなことでして、誰にも今まで言うことがありませんでした。相談することが、どうにも恐ろしかったのです。私の全てが否定されるような、私に関する全ての人々が否定されるような。そのような気がしました。
 ところが、このことが愚かしいことであると、ここ数日でようやく気がついたのです。長らくかかったものです。苦しいことも、誰かと分かち合って初めて人間のつながりは強固になるのだと、気がついたのです。
 そこで、貴方に相談、というよりもただ私の言葉を聞いてほしいのです。返事など要りません。私の話を聞いてほしいだけなのです。私の言葉を聞いて、世にはこんな人間も居るのだなと思ってほしいだけなのです。改めて世を考えるきっかけになれれば良いのです。もしそうなったのなら、これ幸いであります。


 本題に入りますが、詰まるところ私の悩みというのは至って明快。私の性格についてです。性格と言いますのも一口に様々ございますが、こと私の性格は、誰にも当てはまるようなことでありますのでたいした問題ではないのだと思います。何も悩むこともなく自分の持っているものとしてほんの少し、僅かばかり聞いてくだされば良いのです。
 いや、やはり性格というと少し語弊があるような気がします。性質や概念など、そのように高尚なものでなく、もっと単純なことでしょうか。
 強いて、強いてこれを呼ぶとするのならば、病。これより他に恐らくありません。ただ私の語彙が足りないなどと言うのではなく、これ以外に表現がありません。これはそういった病なのです。
 前置きが長くなってしまいました。
 言いたいことはただ一つ。私は嘘をつくのです。虚言虚構虚実虚妄。仮構空言戯言法螺。私はそういったことをよくします。気づいた頃にはもう嘘が口から飛び出た後で、そこからはもう止めどなく溢れてきてしまう。きっとどこかの時からか、なにかそういった栓のようなものが壊れてしまったのでしょう。


 如何です?下らない、と感じましたでしょう。ええ、私も心底感じます。いえ、そう感じていた、というのが正解でしょうか。以前までは可愛らしいもので、幼子が親に叱られないようにつくような至って可愛らしく、というより、嘘ですらないようなくだらない嘘でした。
それが今ではどうでしょうか。私は、まるで嘘をついているような気がしません。嘘に憑かれて、疲れているように思います。息を吸って、肺を動かすことと同様の気持ちで戯言を吐き散らかすのです。
これを病と言わずして何と言うのでしょうか。虚言癖なるある種の病のような癖があるらしく、これは俗に言うところの精神障害、発達障害。いわゆる唖であります。その一つの症状に数えられるのですが、しかしながら私のそれは癖などと言うようなものとはまるで乖離しており、もっと違う何かであると思います。だから病と言うのです。何か分からない。これが何か分からないから表現のしようがないから、だから病と言うのです。
私がこの病に気づき始めたのは、過般のことでした。あるいはもっと前。前世の頃より悟っていたことなのかも知れません。前世に存在した私が詐欺師だとかそういうことで今の私に刻みつけられているのかも知れません。兎角、気づいたことの大きな要因としては、先日の不幸です。私にはこの病に気づきうるだけの事由があったのでした。

 先頃、恋人が急逝しました。まさかこんなにも若いうちに死んでしまうなど考えもしないことでした。もちろん恋人にも嘘をつき続けてきました。他愛のない会話から、二人きりで何処かに行くような大事なときにさえも、大切な人にさえも、嘘をつき続けていました。やはり哀れなものです。・・・、いいえもしかしたら、大切な人だったからこそ私は嘘をつき続けてきましたのかもしれません。自分を着飾って見せたかったのかも知れません。それほどに愛があったのです。哀れであることには変わりなどないのですが。
 私たちは早婚して、ゆっくりでも蓄財して、その財で都に移り、向こうで子どもと余生を謳歌し、団欒を楽しむ。そういった計画を立てていました。それが今や彼方が先に、たった一人で彼岸に往ってしまわれた。
「月が綺麗ですね」「死んでもいいわ」だとか、
「月が綺麗ですね」「傾く前に会えてよかった」だとか、そういったことをこの時世に赤面することなど無く言えるような恋人でした。

 しかし、今はそんなことなどは如何だって構わないのです。過ぎ去ったことの思い出話などでなく本当に話すべき内容は此方です。此方が問題でした。

 恋人の葬式が開かれました。無論私も出席しました。手を合わせたり、遺族の方にも顔を合わせたり、いろいろなことをしていました。どうにも陰鬱な雰囲気で、当の私はどうにも忙しいなぁと思いました。葬式には大勢の大人が集まりました。何せここは島であるがために子どもの数、それどころか人間の数もたかが知れています。島の子どもというのは、このように退廃した島の宝であります。島民のほとんど全員が私の恋人の死を悲しんでいるのです。この島の人はとても寛厚で慈悲深い方ばかりです。この島は天国なのです。この島の悲しみに嘘などと言う不純な穢れは一切混交していません。そのときの私は堪えきれず、その場を駆けて去りました。たどり着いたのは両側を壁に挟まれた、狭く息苦しさを感じるような、真っ暗の空間でした。実際のところは民家となにか塀のようなものの間。路地というか、猫の通り道のようなところであります。
 そこでは、葬式を抜け出すという暗愚な行いを恥じることなどは全くなく、村人の顔を見たときの意味不明な胸の痛みに、改めて耐えるばかりでした。あの瞬間はまだ分かっていなかったのです。

 ふと、本当に何気なく、ふと何かに感興を抱いたのです。その瞬間ではこの違和感の全容が知れませんでした。私の右手は胸から顔へと辷るように動いていきました。そこでようやく判明したのです。

私は心より愛する恋人を亡くしました。将来を誓い合った素晴らしい恋人を、心優しき恋人を、亡くしてしまったのです。突然の訃報を聞いた時もあまりに悲しく思っていました。今現在になっても全く実感を持っていない筈なのです。私は、私達は、愛し合っていた筈なのです。それが何故でしょう。不可解でした。それは未だに私の中でしっかりと判然していないことです。こんなにも悲しいことであるのに、何故でしょうか。

私の顔には、涙が流れていなかった。
眼を触ってみても指は全く濡れていません。無性に痒くなってしまっただけで、寧ろそのせいで、視界が滲みました。事更に視界が悪くなってしまって、余計に自分がどこにいるか分からなくなってしまいました。壁にもたれかかって辺りを視ても、分かることは夜風に当たった壁の温度と、右を向いたときに見える月明かりだけでした。島には夜になれば明かりは殆ど無い状態と言えます。そんな中で、あまり夜目が利かない私でも夜道を歩けるのは月のおかげというのもあるでしょう。月明かりに照らされているのに御陰というのもおかしな話ではありますが、兎角そのとき右を向いたときに見えた月はいつもより光が強く感じました。左側には道はありますが、まっ暗闇でなぜか何も見えませんでした。
 そこで私は自分自身のことが分かったのです。私は今まで誰かに対して嘘を吐きながら生きているというのはそれまででも理解していました。そして、それは良くないことであるということも。いつも誰かに対して、誰かに向けて、そういう嘘を吐き続けてきたと思っていました。しかし、実際には嘘を吐いていた対象というのはどうやら自分自身に対してのようでした。
 私が嘘を吐き始めたのはいつの頃からだったでしょうか。物心ついた頃にはすでに下らないような嘘を吐いていたと思います。これは嘘における定義にもよるものですが、私は自分を飾り付けるために言う妄言を嘘と定義しています。幼子のように何一つとして有益になることがないのにも関わらずついてしまう見え透いた発言というのは嘘には数えられないものとしています。私が幼子の頃、もはや薄れていてしまっていて明確で明瞭な記憶は覚えていませんが、大人や周りの子どもに対して無理矢理話を合わせるなどして、子どもにしては博識なそぶりを見せたり、作り笑いなどもしたりしていた記憶があります。それからまた年を重ね、嘘も重ね続けてきました。
 吐いた嘘というのも、今思えば幼い頃から何一つ変わっていないように感じます。知らないことを知っていると言ったり、出来ないことをできるといったり、思ってもいない感情を出すなど、嘘に塗れています。全く成長性がありません。
 恐らくですが、どれも一つの理由があると思うのです。これは人間が嘘をつく大きな要因の一つ、コンプレックスというものです。いわゆる劣後感であります。生まれながらにして、私は無意識下で劣後感と闘っていたのです。私は誰かよりも劣っているのだと、誰に言われたわけでもない、強いて言うとするならば私の本能が告げる、劣っているという言葉をもはや望んで背負っている。
 しかしながら、この劣後感というのは誰にでも持ちうるもので、誰かに比べて少ない力しかないことを誰しもが悟っているのです。そうして誰もが劣った自分よりも飾り付けた自分を演じようとするから嘘が生まれるのです。
 私もそうです。昔から様々なことに触れて育ってきました。もしも自分にもこのようなことが出来たのなら……。そういった妄想もありました。幼い頃から劣後感だけは人一倍強かった私は、その様々なことを少しやってみては特技だ、趣味だと。その全ては、私を飾り付けるためのものです。私を見てほしかったから。私が、この私がここにいることを知らしめたかったから。
 でも、そのどれもが中途半端なものでした。ただ私という人間を表現するための道具に過ぎませんでした。両親からも友達からも、そして、恋人からも、劣って役にも立たない私ではなくて、虚偽と嘘に塗れた私を見てほしい。それでもいいのです。
 そうしているうちに、いつしか自分の感情にさえ嘘をつくようになりました。思ったままの感情でなく、違う笑顔を貼り付ける。作り笑顔、愛想笑いなどとは少し違うもので、これは怒りや悲しみ。全ての感情に対して嘘を顔に貼り付けるようになりました。この暫く、心から破顔したことや涙が出たことがありません。それこそ本当に悲しく思ったことも。人同士の対話に関して、話す言葉や出る感情、全てを嘘で構成しました。

 こうして、蹲る私は今の自分に対する謎と、いかに自分が哀れな人間であるかを知解するのです。
 何もかも嘘でした。死に対して悲しむ気持ち、共にいて笑う表情、誓い合った愛も、何もかも最初から私が吐き散らした虚言でした。彼方は私のことが嫌いであっても、私は最初から無関心だったのでしょう。好意も嫌悪も、対極にいるのは無関心です。だから泣くことが出来ませんでした。きっと私にとって恋人の存在も私の認められたいという欲求と劣後感によって出来る溝を満たすためのものだったのです。それは恋人などではなく、ましてや恋などではなく、むしろ人として認識していたのかさえ怪しく思われました。
 この事実に気がついた私は、自分に激憤するわけでも痛哭するわけでもありませんでした。唯そこから壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がり、けれど、そこから少しふらふらと蹌踉めいてしまって前の方の壁に手をついてしましました。その壁にいったん背をついて、それから自分の本能が導くように右の方へのそりのそりと歩を進めました。直感ですが、もう二度と引き返すことは出来ない気がしました。立ち上がってから家に到着するまで顔は全く上げることが出来ませんでした。家に着いてからは、両親に何一つ言葉を交わすこともなく、床につきました。ただ両親に対する何処と無く、嘘とは関わりない苛立ちを覚えるばかりでした。不思議とよく眠れました。
 改めて申し上げます。私のこれはもはや病に他なりません。私の劣後感や嘘は行き過ぎているのです。そこらの人間がつくようなそれではない。

 私はこれからどう生きていけばいいのでしょうか。私はこの悩みにどう立ち向かえばいいのでしょうか。書いているうちに気が変わりました。どうか、どうか教えてください。聴くだけじゃなく、解決してほしい。お返事をください。お願いします。お願いします。お願いします。どうか私を導いてください。あるべき場所へ、正しい方向へ、私を導いてください。
 この手紙を流してすぐに返事を頂かないと、私は、何にすがって生きていけばいいのか。何に向かって贖罪すればいいのか分かりません。どうすれば赦してもらえるのか分かりません。私はどうありたいのでしょうか。わからないのです。
 いいえ、もしかしたら貴方から返事が来ても状況などは変わらないのかも知れません。嗚呼如何すればいいのですか。
 どうか教えてください。
 どうかよろしくお願いします。
ではさようなら。
                         哀れな法螺吹きより

名も識らぬ何処かの貴方様へ――


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調査書および推薦書
 まず、最初に郵送された宛先の安原島などという島は存在しないことが確認された。よってこの瓶詰や中の手紙の真偽が不明。
 瓶詰に関する仮説としては、一つ。
 名も識らぬ何処かの小説家を志す誰かが、誰かに読んでもらおうと適当に瓶詰として投げ入れた可能性が高いとされる。
その他細かい点に関してはそちらにお任せする。 

 九月十七日                 ○○市海洋研究所

 ○○大学院 文学研究室御中


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