『カバさん』

 さて、眼前にカバさんがいる。目算、六メートルほどの距離に。それも登山道で。
 眼前にカバさんがいる。ついさっき、横の草むらからまるで野生ポケモンかのように飛び出して以来、そのつぶらな両の眼でずっと私を見つめている。
 完全にカバさんがいる。百人に聞けば百人がこれはカバさんだと言うようないっそあからさまなカバさんで、ベヒーモスでもなければポケモンでもないあのカバさんが、加波山で出た。シンパシー。
 つまるところ私は今、人生最大かつ人生最悪かつ人生初の命の危機に瀕しているわけだが、不思議なことに冷静である。正直なことを言ってしまうとこういうのはツイッターなのかインスタなのかティックトックなのかを考えているし、こういうヤバい動物が出た時って役所に連絡すべきなのか、愛護団体とかそういう所に連絡すべきなのかみたいな、釣りしていたらそこそこの外来種が釣れた時みたいなある種、毅然とした態度で対峙しているわけである。
 などと言っているうちに奴が一歩を踏み締めた。
 さすがカバさんである。道に所在なく転がる小石を全て粉砕するようなもはや爆発音を立てつつ、遠くから見たとて巨大なその顔面、というよりこれから私が入ることになるであろうその大きな口をより近くに感じさせようとしている。
 ああ、私はあとカバさんサイドのカウントで十数歩で死ぬのかなと思うと、検死された時、所見の欄に"死因カバさん"とか書かれて監察医に「マルガイの死因は?」「…、カバさんです」「カバさ…フォww」みたいな会話されるのかな、されたら嫌だなとか、確かカバさんってダッシュしたら時速四十キロとか出るらしいし、最悪、十数歩どころかニ秒後に死ぬな。だとしたらカバさんサイドのカウント方式は歩でも秒でも使えるのかな、便利だなぁ、とか切実な悩みが浮かぶばかりである。
 そんなこんなでまた一歩二歩と遠近法を無視したその図体が迫りくる。
 さっきから何だか股の辺りがすっごい温かいし、思い出したくもない中学時代の黒歴史とかが自然発生的に呼び起こされる。ああ、これ古文でやったなぁなんだったかなぁ。あ、"おぼゆ"だわ。などと言ってはいるものの実際この黒歴史が私の脳内でカバさんよりもとてつもない殺傷能力を持つことを意識させないようにしているだけで、自然発生的におぼゆなんて古文単語思い出そうものなら相当キテいる。
カバさんがいよいよ目と鼻の先、ちょっと改変して文字通りの鼻先三寸に居る。いまから遺書書く余裕あるかな、カバさんのことだし多少は待ってくれるんじゃないかなぁっていうのは甘い考えだというのは痛いほどにわかっているがそれでも期待せざるを得ない。なにせ、死ぬのは怖い。
「人の子よ」
 声がした。天の声のような何かが確かにしたけれど、それであるのならば元気よくおっはよーございまーすとでも言ってクイズを出して欲しい。ということでいよいよ幻聴が聞こえ始めた。人間って死が間近に来ると走馬灯だけじゃなく幻聴幻覚の類まで見聞するのか。これは初めて知り得た。
「人の子よ。私はカバさんです」
 名乗られてしまってはもはや現実逃避の術は失われた。というかそれよりもカバさんは一人称に"さん"をつけることに驚いている。
「お前は美しいな。私の存在に恐怖を抱きつつも、逃げないその覚悟。しかと受けとった。天晴れである」
 誤解されている。二進も三進も行かないような重大な誤解をされてしまっている。
「ああ、どうも、それはそれは」
「その勇気を祝して」
 カバさんは文字通り、額面通りの大口をカバッと開ける。
「いやいや、ちょっと」
「感謝するといい」
 さて、眼前にカバさんがいる。目算、十センチほどの距離に。それも口を開けて。
 
 眼前にカバさんが…

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