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なぜ高度成長期の「ニュータウン」は、寂れてしまうのか?〜「ユーカリが丘」の奇跡に学べ

昭和50年ごろ、都市の過密化への対策として、郊外に建設された市街地、ニュータウン。かつての憧れの地が、今や高齢化により「ゴーストタウンと化した」とまで揶揄されることがあります。

一方で同じニュータウンでありながら、千葉県佐倉市の「ユーカリが丘」は今も若い世代から人気の高いエリアで、新規入居希望者が後を絶ちません。

そこにはどのような違いがあるかご存知ですか?

皆の憧れの地だった「多摩ニュータウン」がいまや

ニュータウンと聞いて、一番に思いつくエリアはどこですか?

多くの人にとっては、「多摩ニュータウン」ではないかと思います。

東京都の稲城市・多摩市・八王子市・町田市にまたがる多摩丘陵に開発され、規模は総面積2,853ha、東西14km、南北2~3kmに及びます。

日本最大規模のニュータウンであると同時に、ジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台となったことでも有名で、東京圏外の方以外にとっても耳なじみのある名前ではないでしょうか。

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画像引用:東京都都市整備局「多摩ニュータウン」ページ

1971年(昭和46年)から入居が開始され、当時は子育て世帯にとっての憧れのエリアでした。

「あの多摩ニュータウンが、今やゴーストタウンになってしまったらしい」

そんな噂を耳にしたことはありませんか?

最初の入居から50年が経ち、今は、街の風景が大きく変わってしまいました。「ゴーストタウン(=幽霊都市)」と呼ぶのは大げさかもしれませんが、高齢化が進み、経た年数相応に老朽化が進む建物。

もともと都心部の過密を避けるために建てられた場所ですので、立地も良いわけではなく、人手もまばら。

働き盛りの、若い子育て世代が「ぜひここに住みたい!」とこぞってやってくる場所ではなくなってしまいました。

ニュータウンが、寂れてしまう理由

これは、多摩ニュータウンに限った話ではありません。

昭和50年ごろに開発されたニュータウンのほとんどが、多摩ニュータウンと同じ状況に陥っています。

実はここには一つ、明確な理由があります。それは、

一時期に集中して分譲されたために、何万人もの住民が一斉に高齢になる

ということです。

開発が進み、入居が開始されると何千、何万という世帯が一斉に移り住んできます。人が住宅の購入を考える時期はだいたい同じで、結婚、出産、子どもが小学校に上がるなどのタイミングです。

ですので、ニュータウンの入居募集には、同じような家族構成の世帯が一斉に集まります。そして同じように年を取り、働き盛りだった親世代は、次第にシニア世代に、ワイワイとまちを賑わせていた子どもたちは、大きくなり独立をしていきます。

気づけば街は一気に高齢化し、途端に手入れが行き届かなくなり老朽化が進んでしまいます。

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ここには、デベロッパーのビジネスモデルが絡んでいます。彼らのビジネスは、エリアを開発し、住宅を販売したら次の分譲地に移動する「売り切り型」です。ですので、できるだけ早く一気に売らなければいけないのです。

一気に開発して、一気に建てて、一気に入居し、そして一気に老いる。

これがある種の、ニュータウンの一連の流れとも言えます。

入居希望者が後を絶たない「ユーカリが丘」の奇跡

そんな中、他のニュータウンとは一線を画し、今でも成長を続けている街があります。それが、千葉県佐倉市にある「ユーカリが丘」です。

ユーカリが丘の開発は1971年(昭和46年)から始まり、1979年(昭和54年)から分譲がスタートしました。それから40年以上、継続的に新規入居者がいて、今も若い世代がたくさん暮らしています。

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画像引用:山万株式会社公式サイト

なぜそんなことが可能になったのか?

それは、「ユーカリが丘」を開発・運営するデベロッパー「山万株式会社(以下、山万)」が、他のニュータウンのような売り切りの「分譲撤退」型ではなく、長期にわたって少しずつ開発して分譲していく「成長管理」型を採ったからです。

山万は、街全体の年齢構成や開発の状況を鑑みながら、新規の住宅分譲を年間200戸程度に抑えています。一気に人を集めるのではなく、その都度入居者を募集するため、結果として街には様々な世代の人が暮らすことになります。

「これからユーカリが丘に住もうかな」と考えている人が街を訪れると、少し先輩世代の方々の暮らしがよく分かります。2~3年後の未来の生活がイメージできることは、住宅購入のとても強力な後押しになります。

逆に言うと、立地や建物が条件に合うものだったとしても、「この場所で子育てをしていくイメージが湧かない」と感じられてしまえば、子育て世帯の入居はなかなか見込めません。

(実はこれは企業でも同じで、新卒採用の場面でも、2~3年目の若手社員がどのような働き方をしているのかが、学生の選択に大きな影響を与えます。)

また、ユーカリが丘では地域内での住み替えを推奨しており、子育て世代が住む家から、子どもが独立した夫婦2人住む家、高齢者のための老人ホームなどあらゆる世代の人が暮らしやすい街を設計しています。

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画像引用:ユーカリが丘公式ポータルサイト

常に新陳代謝を繰り返しているユーカリが丘は、人や家が循環し、街全体が高齢化・老朽化することなく、今も入居希望者が集まる人気のエリアとなっています。

常に次に入居したい人がいるために、中古のマンションでも価格がほとんど下がっていません。

まちづくりにおける持続可能な開発とは

さらに、ユーカリが丘を開発する山万は、住宅の分譲だけでなく、商業施設の運営や、鉄道事業など、「街」を作る事業を続けています。開発をスタートしてから40年以上たった今でも、ユーカリが丘の進化は続きます。

この「ユーカリが丘」の事例は、住宅業界では非常に有名で視察が絶えない街の一つでもあります。

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画像引用:山万株式会社

山万のまちづくりの姿勢は、はまさに近年キーワードとなっている「持続可能な開発」を象徴していると思います。

従来のまちづくりでは、まず大きな都市計画が前提にありました。それを実現するために建物をつくりまちを整備し、具体的な活用方法は、いわば後づけでした。

反対に、山万をはじめとするこれからの時代のまちづくりは、まずそこで暮らす人、利用する人の潜在的なニーズがあり、それを実現するための手段として建物や空間を生み出します。

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※株式会社SUMUSの社内資料より。

高度成長期で人口も増えていた時代であれば、前者のようなあり方が、むしろ正義でした。市街化調整区域の規制緩和をきっかけに、多くのニュータウンが開発され、そのおかげでたくさんの人の生活水準が向上したのです。

それから、時代の変化とともに、まちづくりのあり方も変わってきました。

ところで、冒頭に事例として出した「多摩ニュータウン」は、今再生に向けて動き出しているそうです。再開発され、また新品のようなきれいな街ができれば、きっと若い世代の世帯もたくさん入居してくるでしょう。

しかし、

作る→売る→古くなる→もう一度作り直す

このサイクルを回すことができるのは、莫大な資金調達が可能な一部の大手デベロッパーだけです。

これが老朽化したら、つぎは、誰が直すのでしょうか?

従来の、行政からのマスタープランに則って進めるまちづくりは、インパクトはあれど「持続可能」がキーワードとされる令和においては、時代錯誤だと、私は感じてしまいます。

まちの価値を高める「#まち上場」で幸せなまちを作ることを使命としている私としては、一つの企業がじっと腰を据えて、そのまちと共に成長していく山万とユーカリが丘のような関係の地域が、他にも増えていくことを期待しています。

株式会社SUMUS 代表取締役
小林 大輔

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ユーカリが丘を開発した山万のように、一つの会社が何十年にもわたりその街を作り続ける構図は、代官山の事例に似ています。

日本一オシャレな街として有名な代官山も、昔からそうだったわけではなく、何十年もかけて街を作り続けてきた「朝倉家」の存在があります。

こちらの記事も参考にしていただけると嬉しいです。


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