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ヒーローは職業じゃない(hrak映画ネタバレ有り)

※ヒロアカ映画第1弾〜第3弾のネタバレを含んでいます。ご注意ください。


ヒロアカ第3弾の映画を観た。そこで劇場版オリジナルキャラクターのロディと出会い、私はある確信をした。

ヒーローは「職業」じゃなくて、「生き様」だということを。


劇場版で必要不可欠なオリジナルキャラクターの存在。第1弾はメリッサちゃん、第2弾は真帆ちゃんと活真くん、そして今回第3弾にはロディが登場した。今までの劇場版でもそうだったけど、このロディというオリキャラが本当にたまらなくて、「劇場版だけの登場じゃ勿体無い!」と本気で思った。連載漫画の主人公でも違和感が無いぐらいキャラクターが立っている。
最初はヘラヘラしてて掴み所のない彼も、物語が進むにつれてどんどん人間らしさが増していった。誰よりも兄妹思いで、誰よりも肝が座っていて、でもちゃんと自分の弱いところも受け止めていて....そして父親のようなデクのような、「カッコいい自分」を諦めなかった。だから上映中はずっとロディを応援していた。ロディが背負っているものを全部知りたいと思ったし、ロディのこれからの未来が幸せなものであるように祈った。
これはロディに限らず、メリッサちゃんや真帆ちゃんと活真くんにも公開当時同じような感情を抱いた。それくらい、ヒロアカの劇場版オリジナルキャラクターには魅力が溢れていた。

さて、私が映画第3弾を観終わった頃、ヒロアカ映画のオリキャラにとある共通点を見つけた。メリッサちゃんは無個性。真帆ちゃんと活真くんは子ども。ロディはヒーロー向きじゃない個性

彼らに共通しているのは、「ヒーロー」を名乗るにはハンデがあるということだった。でも映画の中の彼ら・彼女らの行動を振り返ってみると、絶対ヒーローだった瞬間が必ずあるのだ。

無個性のメリッサちゃんは、自分の身の安全が保障されない状況でも果敢に行動した。デクを助ける為に武器を持った敵に飛びかかった。彼女が持つ知識と勇気のおかげでヒーローが、Iアイランドの住人が助けられた。

まだまだ幼い真帆ちゃんと活真くん。活真くんは自分の個性を使って幼馴染を助けてくれた。真帆ちゃんは活真くんを守る為に敵の前に立ちはだかった。そして弟のヒーローになるという夢を守る為に、敵に個性を渡さず逃げろと言った。活真くんはそんなお姉ちゃんを守る為に、敵に個性を受け渡すことを選んで駆け寄った。自分の夢よりも目の前のお姉ちゃんを選んだ。

そして武器となる個性を持たないロディ。唯一の肉親である弟妹と世界を秤に掛けて、世界を選んだ君をヒーローと呼ばずしてなんと呼ぼうか。一度は家族の為にデクを裏切ったあなたが、今度は世界を救う道を選んだ。「大したことない個性」と吉沢亮に言われていたあなたが、世界を、ヒーローを守ってくれた。

映画のオリキャラはみんな大きな決断をして、大切な人は元より、ヒーローや世界を助ける。その行動力は本当に普通の人に出来ることだろうか。そして彼らは自己犠牲の精神ではなく、「大事な人/大事な事/大事な物を守りたい」という気持ちが根源にある気がする。それは家族かもしれないし、プライドかもしれないし、夢かもしれない。
私なら大事な人達と世界を秤に掛けられた時に、どちらを選ぶか即答できなくなる気がする。身の危険を感じたらきっと綺麗事なんて言えなくなる。自分が一番可愛いかもしれないし。

あの世界では確かにヒーローは職業であり、ヒーローとしての素質(困っている人を救け出す)を持つ人達が雄英のような育成機関に通っているけれど、映画のオリキャラの活躍を観る度に、彼らもヒーローと呼んであげてほしくてしゃーない。彼らは能力的に特別じゃなくても、そういう行動ができる人達。自分の生き方を貫いた格好いいキャラクターなんだ。
あと世界各地の爆弾を抑えようとしたヒーロー達。エンデヴァーは爆弾を抱えて宙まで運び、お茶子ちゃんは爆弾に接近して処理をした。自分が死のうがどうなろうが、市民に被害が出ないように出来る最善を尽くすあの姿。あれはヒーローという職業だからやったんじゃない。彼ら・彼女らが既に「そういう生き方」を選んでるんだと思う。

「ヒーローは特別な個性を持つ人がなれるんじゃなくて、自分の生き方を貫く人がヒーローになれるんだ。」と今回の映画を観て思った。

描かれていないだけで、あのヒロアカの世界にはきっと「ヒーロー」が大勢いるんだろうなぁと思う。




すもやま

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