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愚痴の愚痴


大人になって気づいたことがある。

人間、その会話の7割…いや8割が愚痴であるということだ。

小学生の時、「友達の悪口を言ってはいけません」と教え込まれたのが本当にバカに思えてくるほど大人達は愚痴を言う。そこに年齢も性別も関係ない。

私も、言う。
このnoteだって愚痴の部類に入ると思う。それなのに、最近、愚痴を言うことも聞くことにも甚だ疲れてしまった。



最近気づいたことがある。

私は愚痴を言っても全くスッキリしない人になっていたと言うことだ。
大学生の時が、、いや社会人1年目の時が、人生で1番性格が悪かったんじゃないかと思う。(去年の話である)
性格が悪いというか、荒れていた。
全てが気に食わなくて、イライラして、悲しかった。
今振り返ってみると、承認欲求のこじれが原因だったんじゃないかなあと思う。

話は逸れるが私の承認欲求を舐めないでほしい。インスタのストーリーになんやらかんやらを投稿して満足するような人達とは一味違う。
承認欲求が強すぎるが故、インスタなんて滅多に更新しない。「インスタにあまり興味がないみんなとちょっとちがうかっこいい人」と思ってもらいたいからだ。

他の人は知らないが、私にとって愚痴の何がいいって、肯定してくれる人がいることにより自分が正当化して見えることだった。
愚痴を言っている間は愚痴の対象より自分が優れているように思えたし、あるいは、自分の価値観を改めて認識させてもらうものだった。

愚痴って結構みっともないかも。

そう思い始めたのはずっと好きでずっと読んでいたブロガーさんの記事が、最近愚痴っぽくなってきたことがきっかけだった。


豊かな語彙で溢れたその文章からは、そのブロガーさんの怒りがとても鮮明に伝わってきた。伝わってきすぎて、何だか萎えた。正直そのブロガーさんが怒っている対象が私にとっては死ぬほどどうでもいいことで、「ほっとけよ」で終わる内容だったからだ。


そんな時に気づいた。
愚痴って結構、話す人や漏らす場所をめちゃくちゃに気をつけないと、痛い目に遭うかも。と。


そう思うと愚痴がスッキリするものではなくなっていった。
どれだけ仲良い友達であったとしても、愚痴を話した帰り道になんだかソワソワするのだ。

みっともなくなかった?
こんなことでっておもわれた?
面倒臭いやつと思われた?

寝る前も愚痴ったシーンを反芻して、何だか恥ずかしくなってきて萎えた。


愚痴を言った日の夜、愚痴を言う以前より更に悩みが増えていることに気づいた。


本当に面倒くさい性格だと思う私って。マジでやってられない。そう思った時に、TWICEのツウィちゃんがこんなことを言っていた。


以前は誰かに悩みを話すと、それで消化されると思っていたんです。でも今は、自分の気持ちには自分が責任を持ってあげないとダメなんだなと気付きました


愚痴って不思議だ。
仲間を作った気になれる。でもそれは気のせいなだけで、当事者の痛み苦しみ悲しみ傷は、当事者にしかわからないことだった。


他人からもらった傷なのに自分で癒すなんて世知辛い世の中だ。でも今の私にはそのやり方が1番だった。


それに、傷を1人で癒すと、その行為に何だか自信が持ててじぶんのことがすきになれた。



私はすごく面倒くさいし意味のわからない人間だと思う。けどこんな人もいるんだなってことを、何となく誰かに知って欲しかった。


私、承認欲求高いから。。


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