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ニュルンベルク裁判を見て

ニュルンベルク裁判では、当たり前だが死亡したのでヒトラー、ゲッベルス、ヒムラーは裁かれなかった。

だがもしも、生きていれば死刑は免れなかっただろう。
人道に対する罪、平和に対する罪、共同謀議、戦争犯罪のいずれも有罪になったのではないか。

ヒトラーのドキュメンタリー集

この恐ろしい出来事は、ヒトラーだけでは達成しえなかった。
ヒトラーがいて、そこに仲間が集い、民衆の支持があったから、あのような恐ろしいことが現実になった。それを忘れてはいけない。

ザイス=インクヴァルトとハンス・フランク

アルトゥール・ザイス=インクヴァルト

画像はウィキペディアより。ザイス=インクヴァルトはヒトラーと同じくオーストリア出身であり、アンシュルスの重要人物であり、親衛隊大将の地位も得ている。

彼は、ポーランドで副総督をしていた。

総督は弁護士でもあったハンス・フランク。


ハンス・フランク



戦時中のポーランドにはアウシュビッツ強制収容所があった。それ以外にも、ナチスによる「夜と霧」作戦では夜にユダヤ人狩りを進め、食事の配給でもユダヤ人差別があったりと、枚挙に暇がない。

こうした犯罪から、フランクもザイス=インクヴァルトもニュルンベルク裁判で絞首刑に処されている。


ハイドリヒからカルテンブルンナー

エルンスト・カルテンブルンナー

チェコスロバキアでラインハルト・ハイドリヒが殺害されたのち、後任となったのがカルテンブルンナー。
従ってゲシュタポ、SD、アインザッツグルッペンなどの責任者となった。彼は容赦なく絶滅計画を執行していった。

これだけでもはや戦争犯罪の有罪は免れなかった。逃げ出した多くの親衛隊は不在でも有罪になっている。
カルテンブルンナーもまた、ニュルンベルク裁判で絞首刑に処されている。


彼らのしたことは許されない。そして我々は、彼らのしたことを忘れてはいけない。
忘れれば、必ず繰り返すから

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