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鉄は熱いうちに打つべきか? 『熱狂の捌け口』感想

こんにちは。
上半期無限に赤衣装の曲を聴いている気がする口寄せです。

今回は夏休みど真ん中に公開された『熱狂の捌け口』について書いていきます。

※曲についてというより、感想(連想)メモになります。
毎度ですが、別ジャンルの話ばっかします。コンテンツカテゴリではなく、概念を掻い摘んでください。





『熱狂の捌け口』




何故か今年は赤い衣装ばかり見ている気がしますが、意外にも井上和のこういうのが"乃木坂の衣装"として公開されるのはあんまり見たことないかも。

本作センターの一ノ瀬美空さんですが、可愛らしい顔ではありつつ赤いリップやアイラインはバチバチに決まるという絶妙な顔面をしており、後述の"鉄は熱いうちに打てばいいのか"問題にぴったりの配役です。発明だ……。



コーデュロイのいぬ→

夢は脆くて壊れやすい
だけど大事にするだけじゃ叶わない

その願いが本物だったら
地面に落としてもヒビは入らない

大人っぽい赤衣装とは一転、子供部屋っぽいベッドからAメロがスタートします。

大事にするだけじゃ叶わない のフレーズから、主人公も大事に育ってきたんだろうな と思ったり。

願いにしろ自分自身にしろ、ヒビが入る程度のものなのかどうか試したくなる  そんな気配がします。


全体を通しても「夢」が何なのかはぼんやりしているのですが、何でもいい(何でも当てはめられる)んだと思います。
「自由」というフレーズも出てくるので自分は自由に向かって進撃し続ける ぐらいのイメージでいます。



今日は窓を開けよう……?

この1枚だけで"子供部屋だな"ってなるセット構成、及び我々の共通認識って凄くないですか?手前の机が特にですね。

発狂の捌け口は何処にぶつければいい?
悪い事をやってみたとこで
きっとたかが知れてるだろう
情熱の収め方慣れてはいないんだよ

めちゃくちゃレースカーテンが揺れそうな窓ですが、"飛び出すべき外の世界(outside to go)"が主人公にとってはまだ未知のベールの向こうであることが直感的に見えてますね。

しかし一方で「悪いことをやってみたとこで きっとたかが知れてるだろう」という諦観も主人公は持っており、この諦めは内側で身につけたものです。


遠くのサイレン何故だか切なくなる
繁華街のどこかで火事があったらしい
見えない炎が誰かの動機炙り出す
野次馬だちよ

内側からカーテンを眺めている日々の中でも、外で誰かが糾弾されているサイレンだけは聞こえてくるんですよね。

どうしても歌詞上「じゃあ放火魔になればいいのか」みたいなツッコミが拭えない表現に(康は)なりがちなんですが、「Twitterのおすすめ欄でまるで自分みたいな失敗談が流れてきて気落ちする」みたいな状況を言いたいんだと思います。
自分は内側に籠もっているだけで、外に出れば「ヒビが入る」程度の存在かもしれないという焦燥。
(逆だったかもしれねェ…の想像力)


青春の捌け口は繰り返す独り言
膨大な時間の使い道 指の隙間から逃げていく
現実を焦っても空振りで終わるだけ
僕は僕の好きにさせてくれ
まだ間に合うだろう生き方を

時間を無駄にしているんじゃないか
vs
焦っても結局無駄だよ

アンビバレント



こういう子がヒビを感じてるのめちゃくちゃ良い
麦茶ノルマ達成


鉄は熱いうちに打つべきでしょうか?

麦茶はキンキンのうちに飲むべきでしょうか?



窓の外からの風


ついに外に出るのか……












まぁ一回ここで舞ってみるか!!





まーーーーーじで好き。


部屋で舞ったところで誰と関われた訳でもないし、傷付くかもしれない環境に飛び出せた訳でもない。

でも部屋で実践できることもあるし、そこからゆっくり外に出るか考えてもいい。


『熱狂の捌け口』は内側でもいい。












MVでは"外に出て"おわる(歌詞でも「ぶっ倒れるまで弱音吐くな」だし…)のですが、自分としては

・"抑えきれない衝動"と焦燥の捌け口として外向きにアクションを起こすのか

・焦燥の捌け口を内側に持ち、相対化した上で手段のひとつとして外に踏み出すのか

の違いを感じました。

むしろちょっとクールダウンした上での"外"が選択肢に上がることが、「内への閉塞感」に終わらないエンドとして良い構成だと思ってます。
(子供衣装のまま外に出てるのも構築として良い…。赤ドレスで街に繰り出すんじゃなくて。)



鉄は熱いうちに打つべきか? 「うるせェ!!!いこう!!!!」が通用する時・しない時


みなさんは漫画『ONE PIECE』の以下のシーンをご存知だろうか。

「ONE PIECE」第152話より

チョッパーがルフィからの勧誘を受けるシーンですが、最初チョッパーは理由を並べて国に残ろうとします。が、ルフィは全て無視して突き進みます。


まさに『熱狂の捌け口』における「そんな事に時間割かれないで ぶっ倒れるまで弱音吐くな」的なシーンです。


でも、本当に何時でも突っ走るのが正しいのか?
「考えるよりまず行動」でいいのか?


もちろん
・東の海でミホークと遭遇して、心臓に刃が刺さりながらも引けなかったゾロ
とか
・「後で後悔する」と無謀にも兄のため海軍本部に突っ込むルフィ
とかを否定する訳ではないです。むしろそこには「ここで行動しないのは自分じゃない」という明確な指針が本人の中にあり、それに基づいて行動がでてきています。


でも我々が日常で行う選択の中に、そんなに「俺というアイデンティティが許さない」みたいな選択肢はあるでしょうか??


勉強(進学)にしろ仕事にしろ恋愛にしろ、

みんながやってるのに自分はなにもしなくて良いんだろうか…

みたいな漠然とした不安感・焦燥を、「今、俺は鉄が熱いんだ!」として何となく不安が解消する方へとアクションを倒していないでしょうか??


ルフィの「うるせェ!!!いこう!!!!」は寧ろ"チョッパーの不安"が多い進路の方へ倒す行動であり、"海へ出なかった世界線のチョッパー"の後悔を減らす行動です。


このあたりは本当に難しくて、
「推しは推せる時に推せ」も雑なアクションへの免罪符になりがちという意味で、色々な思考停止を招くおそれがありますね。


大切なのは行動を下支えする信念であり、行動自体への固着が起こってしまうとそれはもう不安の捌け口でしかないのかなと思います。
みんなにはゾロやルフィみたいな信念はありますか?

その行動、本当にあなたの行動でしょうか?
その行動にあなたの熱狂はあるでしょうか?


麦わら海賊団ですら2年の修行期間があったんだから、「本当に大切なのは何か」考えながら自室で舞ったっていい。

それが無駄な時間かどうかは、行動の下支えがあるかどうかだと思う。





"外"を目指し続けた顛末の『Dead end』



『熱狂の捌け口』を聴いているうちに、めちゃくちゃ『Dead
end』で『半信半疑』だなと。みんな親戚ですね。

熱狂の捌け口は何処にぶつければいい?
悪い事をやってみたとこで
きっとたかが知れてるだろう

熱狂の捌け口

半信半疑で愛し合ったっていいことなんかない

半信半疑

ありえないダッシュしたのに疲れただけ

Dead end


鉄は熱いうちに打て、善は急げ、百聞は一見に如かずでアクションしてみたはいいが、「なーんだこんなもんか。」

そんな行き止まり感


結局外の誰かが、何かが救ってくれるんじゃないか……という淡い期待だけでは何も解決しないんだな……。

真夏に何か起きるのかしら だけでは何も起こらないし、『熱狂の捌け口』さんや『Dead end』さんはもうそんな淡い期待すら抱かないと思う。


ただ未知を既知に変えることを発見とするのなら「世界にだって果てはあるんだ」し、いつか限界が来る。


ただ外に広げること・発展させることに熱狂するんじゃなくて、今まで経験してきたことを整理したり、再発見する楽しみもあるんじゃないだろうか。


あなたは何がしたくて走るのか。

















〈あとがき〉

最近はコンテンツの波が激しいので、

みんな立ち止まって言語化してみようよ!追うのがそんなに偉いのかよ!
結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、一体何で、何の幸せを目指しているんだっけ……

と自問自答したくなって書きました。

(つーかこれまんまお誘いを受けた書き物のテーマじゃない…?コンテンツを見るお前はどうなんだという。)

麦茶が汗をかくぐらい長々と、この辺のfunnyではない会話をしてくれる友人がほしいな。




何が大事なんだっけというのは、オタク活動に限らずライフオタクバランス的な意味でも定期的に再確認して進むのが後悔しないためには大切だと思いますね(自戒)。


今年の夏はもう少し自室のベッドでひとり舞おうと思います。それでは。

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