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奇妙な毎日。誰かの悪意も作意も良い体験と思うのが本当の近道でしょって言う根拠のない自信。

★カッパドキアには秋がない、とずっと思ってきたんだけど
あるじゃんね、こーんなに。なんで今までカッパドキアには春と秋がない(もしくは異常に短い)と思ってきたんだろう。今日は落ち葉を踏み締めながら宙を見上げてそんな事を考えていました。今年はやたら目いっぱい、秋な空気を感じています。

ボンヤリしてる割りにはルーチンはさくさくこなしています。
ぼんやりしてる癖にアクションは次々に起こしています。
なんとなく意気も上がってないから疲れやすいし、なるべくじっと籠っておこう、と思う癖に外出しまくってます。
頭がぼんやりしてるから何が大事な事は結論を先延ばしにしておこう、と思ってるくせに、答えを迫る様な場面にわざわざノコノコ出かけて行ってます。日にちや時間の感覚がやたら曖昧なので、約束を忘れたりとポカミスを連発しています。

なんだか奇妙な毎日を生きています。

一昨日昨日今日と初対面の方や、めっちゃご無沙汰してる方々に会ったり連絡を取ったりする場面が重なりました。道で偶然会ったりもします。
偶然会った友人が誰かに引き合わせてくれたりします。あらって思う人から電話が掛かって来たりします。

改めて、私は人をジャッジ出来ない人間なんだな、と思う場面が重なりました。まあ、でも、だからこそ良い「体験」を重ねているとも言えます。
先入観持たずに会って話してみないと何も始まらないんだし。

私は、誰に会っても、誰に何を言われても
袖振り合うも他生の縁、と言う意味では
良いにつけ悪いにつけ、必ず意味がある、と信じているので
基本、その人が言ったことを、そのまま100%体勢で受け取ります。
だって初対面で、わざわざ私に悪意をぶつけてくる人などいる訳ないんですから。

もし、まかり間違って、悪意があったとしたら
その悪意にすら意味がある、と言うことでしょう。

相手の悪意とか作意は、
きっとそれを私が「体験」する意味があるんだと思うんですよ。
なにを甘い事を、と言う莫れ。
そこから逃げよう、とする方が絶対に遠回りになるんだってばっ。

あとから、真意が分かって驚くこともあるんだけど
「ああ、馬鹿みたい」とも思わないし、
「コンチキショウ」とも思わない。
何と言うか、あれです。茂木先生が言ってたんだっけか「アハ体験」
(ああ、そう言えば、さっき息子くんから「Take On Me」って歌知ってる?って聞かれたな。関係ないけど偶然だ(≧▽≦)。)
話が逸れたけど、とにかく、あら残念って思う場面で「うわー、これも体験かぁ」ってアハっとなる。で、それは綺麗ごとじゃなくてマジで「快感体験」な訳です。

しかも、そんなに居ないですマジで悪い人。
何か作意があった時って、ちゃんと憎めない理由がある。
どこにも100%の悪人も100%の善人も居ないんだから
そこら辺はあやふやでいいですよね。
たまたまその時そうだった、と言うだけ。

その時たまたま乗ったものが、良い方向へ向かってなかったとしても
もし自分が乗ったなら、そこには乗った意味があって
そこに乗ったから行けた行先があって、必ずそこに行った意味があるんだと
それはちゃんと必ず回収されるフラグで

全ては、良くなるために起きている。
無理に明るくやり過ごす必要はないけど
そう信じられる根拠のない自信と幸福感だけはある。

まだまだ良い体験がこーんなに沢山控えてるんじゃ
あと100年生きても足りないなっ。 (≧▽≦)

全ての友人たちに健康と幸運を!

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