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小確幸。光陰矢の如し。しかし緩急あり過ぎ。

キッチンの片隅に、バルコニーから間引きして摘んできた双葉ちゃん達を生けたり、人参とかを切った時にヘタだけ水に生けといてみる、など。

それがどうなる訳でもないんだけど、めっちゃ癒される。なんだろう、この幸福感。これが生って実が獲れたりするわけでもないんだけど、
つまり、あれね、これは「お花」なんだわー。
観賞用。
目で愛でて癒される。
私には花も良し、が、こう言う実がなる植物の方が更に良し、としみじみ思うわぁ。
正に小確幸。

三元日、モーニングノートも、noteもYoutubeも、ヨガやストレッチも瞑想も、
なーんにもしませんでした。

さっき、モーニングノート書いてて、
三日間何もしてなかったー、と改めて気付いたんですわ。
光陰矢の如しってな気分を、さっそく体感しちゃいました。
たった三日、されど三日。
何にも成し遂げなかった贅沢な三日。
いつものトルコのお正月は、元旦だけが祭日で、全く年末年始感がありませんでした。移住してきた当初は、この肩透かし感が寂しくて、とにかく毎年、愚痴っぽい投稿をSNS上でしてきました。
元より、世界的な観光地で観光業をしている身でしたから、年末年始のかき入れ時は、基本繫忙期で、日本人として元旦くらいは出勤しないで休ませて貰っていましたが、休みらしい休みでもありませんでした。

ところが、皮肉なことに、
コロナ禍の中での、この年末年始。
お客様もいらっしゃらないので、当然休業ですが、
そこに年明け二日、三日が週末に重なったので、国からの外出禁止令が出て
トルコに来て初めて三元日がお休み、お家でまったり、と言う、まさかの寝正月の三日になりました。
喜んでいいんだか、悲しんでいいんだか、本当によく分かりません。(;^ω^)

『光陰矢の如し』中学の卒業の時か、なんかなんかに確か先生に贈られた言葉だったかもしれません。あの頃の先生はもしかしたら今の私よりも年下だったかもしれません。今の今日の私が感じているほどの実感を感じながら教え子にこの言葉を贈っていたのでしょうか。それとも「いやあ、三十路、四十路からは時がたつのが早いなぁ」って思いながら贈ってくれたのでしょうか。

年齢だけじゃない気がします。
今の、この世界や宇宙は、確かに、確かに、ただの思い込みではなしに
本当に時間が、矢の様な速さで飛んで行っています。
また、あの頃、時間は、ただ緩慢に一方向だけに進んでいたのに
今は時間が速度を速めただけじゃなくて、不安定に迷走して、時に逆にも進んでくるので、流れに乗っているだけで何かが成っていくのではなく
潮に竿して濁流を渡っていかないとならない感じです。\(◎o◎)/!

渦潮に巻き込まれた時には、必死に竿して流れから逃れようとすると、どうしても出れないものが、竿を手離して、渦に舟を預けてしまうと、ひょい、と渦から弾き出されて助かった、てな話はよく例え話でも聞きますね。
そう言う、風や潮を読む勘どころがこれからの肝になるかもですねぇ。

年明け7日とかには、おうし座に火星が入るとか
詳しい訳ではありませんが、色々「突き付けられる事」がいっぱい出て来そうな感覚があります。

竿する感覚を磨いて、
乗り切って参りましょう。

何とかなります。

全ての友人たちに健康と幸運を!

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