アフターコロナ。(マネタイズ妄想)

実は、コロナクライシスにそこまで拘泥している訳ではない。
の、だけどれども、それにも繋がるし、同時代性として関係ありありだし
今、言葉としてキャッチ‐でしょ、と思ってタイトルにしてみた。

去年、トルコのカッパドキアで仲間と共に現地旅行代理店を始めた。
只今まさに創業1年目。
ツーリズムの仕事は10年以上の現場経験があるので、会社経営、と言うより
自分達のやりたいやり方でお客様を迎えたい、と言う思いの方が先だったので、自分達の働き方の自由度を最優先した体制でスタートした。

旅、を語ると、今ここで書き始めたら、まとまるまでに相当な字数が費やされてしまうと思うので、一旦置いといて。
とにかく、自分達の自由度と同じくらいに、旅を自由に味わいたい人と仕事をしたい、そう言う旅を提供したい、と思ってきた。
そして、それは時代の流れであろう、とも思った。
つまりそれは先見性のあるビジネスになるであろう、と。
始めてみた一年目、ほぼ口コミだけ、知り合いの伝のみ、の仕事だったけれども、それなりの手応えを感じる事が出来た。
進みだした道は間違っていないな、と言う様な肌感覚。
来て頂いたお客様皆様に感謝。

共同経営仲間は4人。
実地で動く3人は月給を貰いつつ、その上で純利益が出れば4等分と言う分かりやすい経営体制だったし
雇人がいない状態でのスタートだったので、とりあえず自分達が飢えずに済めばよい、と言うライン引きなので気持ちは相当にラク。
とは言え、今から先々に向けて布石は打っていかなければならない。
観光業はオフィスに座ってお客様の来訪を待っている時代ではない。
様々なネットワークを使って我々の業態を求めているだろうマーケットに積極的にアプローチしていかないとならないし
カッパドキアにオフィスがあって、トルコ語と日本語に堪能な日本人が在籍していて、旅のオペレーションに長けたプロのスタッフが手配を担当するこの弊社Lotis Blue Travelの価値創造とマネタイズを模索していかないと。

Lotis Blue Travelで旅して良かった、と言って貰えるオペレーションのクオリティでする勝負と並行して
どうせ、何処かにお金を払って旅をするならあの人に頼みたい、と言って貰える、個人のキャラクターを出していこう。
腹を括ったら割りにすぐに動けるキャラなの私。
Lotis Blue Travelのマネタイズの一翼に「おじゃぴぃ」と言うキャラクターも加味しよう。
年明けから見切り発車で「おじゃぴぃトルコ旅の情報チャンネル」と言うYouTubeチャンネルを立ち上げて動画の中でトルコを話題に喋り始めた。

世はYouTubeが大きな転換期を迎えており
既存のメディアだったTVが衰退して、YouTubeの中にTVに匹敵するコンテンツが多く現れ始め、また同時に私の様なズブの素人が気軽に発信を始めるようになってきた。
YouTubeでの広告収益で生計を立てていた方々は戦々恐々の体でありましょうが、私の様なズブズブの素人がYouTubeでの収益なぞ端から目指す訳もなく、
私が目指したものはLotis Blue Travelとしての広告であり「おじゃぴぃ」キャラのおこがましいながらもブランディングである。
また更に言うと、「中東」「イスラム」と言うキーワードで想起される
『危ないイメージ』を現地に住む日本人が喋ることによって払拭したい、と言う思いも強かった。

更に、TVからYouTubeに人々の情報収集のメインテーブルが移って来たことから、私の読みとしては、ただ素人くさいコンテンツに共感や面白味を感じる視聴者がいても、いずれ飽きてしまうのは自明。
これから5Gなどの世界的体制が整うのであれば、ひと動画ごとにコンテンツとしての価値が成り立っているもの以外は双方向性が求められるに違いない、と勝手に予想。
第一回からZOOMを使った動画コンテンツを発信した。
(なんとおこがましいことでしょうね、全く動画の編集技術さえないのに)
妄想力だけは本当に素晴らしいものがありますね、自画自賛。

走りながら考える、おじゃぴぃ。

やってみたら、画質音質問題が手元の機材とカッパドキアのADSL環境では全く追い付かないことが判明。
一旦棚上げ。
チャンネル構想としてはZOOMを使った双方向性旅情報チャンネル、と言うものでしたが、ZOOMでの視聴者とのセッションと動画アップは並行させるものの作業自体は分けて進めていくことに。
でも、多分、先々、また、これが合わせ技になっていくのは見えてもいる。
YouTubeに双方向性が求められるのは時代の流れとして必須。(断言)

Lotis Blue Travelのマネタイズ。
それを考えていかなかれば、と思いつつ
日々に埋もれて頭上20㎝ばかし上空の妄想クラウドに一度格納しつつ
時々下ろしてきては眺めて見まわしてまた格納の繰り返し。

そんな折り
タイトルにもある通り、冬の閑散期を俄かに襲った「コロナウイルス禍」
この文章を書いている2020年2月23日現在では
日本での爆発的流行が心配されるものの決定的な状態ではなく
10か国前後で日本への渡航注意勧告などが出ている感じ
3月に入ってから、ある程度、見えるものがあるかもしれないものの
全く先行き不透明感、五里霧中、と言う感じ。

もし、日本人の渡航制限が始まったらどうなるのか

数年前、シリア内戦当時。
トルコ国内はさして危険な状態ではないものの
日本からの旅行客が数年間と言うタームでほぼ途絶えた。
日本語使いで日本人マーケットで暮らしを立てている会社は文字通り干上がった。
シリアとトルコが違う国である、と認識出来る欧米のお客様や中国からなどのお客様はそれなりに来ていたので、日本語マーケットだけで勝負していた会社は次々に姿を消していった。
当時は雇われ人であったのだけれど、まともに給料が払われない日々が続いていた。(それでも私は最低限は受け取れていた方だと思う)
まあ、もとより田舎暮らし。
現金収入が減っても工夫次第では飢えずになんとかならなくもない。

そんな数年を一度経験しているので
今回の惨禍も、アッラーは乗り越えられない苦難は寄こさないはず
と言う、根拠のない楽観論を携えてはいる。

携えてはいるものの
アッラーが与える苦難には、必ず何か学ぶべき課題があることも知っている。

そうだそうだよ。
頭上のクラウドに突っ込んだまま、埃をかぶったままになってた
マネタイズについて、今一度突っ込んで考えてみろ、と言われているに違いない。

ここからは私の妄想。アフターコロナとしての妄想。
その昔、今をさかのぼること16年前
まだトルコに移住したばかりのころお世話になったビジネスマンが
何かの折におっしゃっていた
「陽子、仕事と言うものは、必ず必ず二つ以上持たなければいけないよ。
一つは店を構えてお客様を待つ仕事だ、待つのは辛いが、待つことが仕事だ、と言ってじっと座っている様な仕事だな。そして二つ目は出かけて行ってお客様を捕まえにいく狩りの要素のある仕事だな。二つの仕事を持たなきゃダメだよ。
二つの仕事は同じ仕事に二つの要素があってもいいし、全く違う仕事を二つ持つことでもいいんだ。いいか、常に二つの仕事を持つことを考えておくんだよ。」と
そんな話を伺った3週間後に突然その方は鬼籍に入ってしまった。
言ってみれば、これはその方の遺言になってしまった。
当時は専業主婦だったし、まさか自分が経営者の端くれになるとは思ってもいなかったので、今、改めてその言葉を思い出してシミジミと噛み締めている。
なんで彼はそんな話を私にしてくれたのだろうか?

さて、カッパドキアにある旅行代理店に出来るマネタイズとはなんぞや。
二つの仕事とは何を指すのか?

マネタイズ前にリスクマネジメント的に日本語のみのマーケットでなく
取り扱える言語をまず広げないと。それはチームで話し合うこと。

今ある「おじゃぴぃトルコ旅の情報チャンネル」のYouTubeも
宣伝目的から時間はかかっても将来的に何らかの収益を生む存在に育てていきたいし、並行して、英語のマーケット向けにも英語使いの仲間でYouTubeチャンネルをスタートさせよう。
YouTubeが収益化するまでには最低でも1年以上掛かるらしい。
収益を目的にしないとしても、自分達の多言語的メディアを持つことは武器になりこそすれ今のところ失うものはない。やらないでおく理由がない。

コロナウイルスが象徴する世界的な末法感。
そしてそれを抜けた先にある新しい世界。


日本の政治的腐敗のダメ出し期間に突入して
やっと追い詰められながら、目覚める人々も出てきている。

去年、もしくは一昨年あたりから
大西つねき氏や、れいわ新選組が提示している次のビジョンが
そのまるで蜃気楼程度だったビジョンが、いきなり体感を持って目の前に立ち現れてきた、と感じる人も少なくない、と思う。

まだ、この期に及んでジミンとかイシンとか寝ぼけたことを言っている人は
多分、まだ底付き体験が終わっていないので引き続きカオスの中で
自分が見たいと思う辛い現実の中を泳いでおいていただくとして
(そっとしておいてあげよう)

マネタイズの話。

MMT理論や、脱資本論、ファクトフルネスと言った
流行語的なキーワードは、単なるふわふわした流行語ではなくて
実際に多くの人が体感している経済的なファクトがあるからこそ人を惹きつけている。

この先、本当のちょっと先の未来に
お金が単純に数字記号の道具である、と言う認識は多くの人に共有されるでしょう。
限りなく物々交換に近い価値のやり取りが、お金か、それに代わる「認識」を道具にしてやり取りされることになるんだけど

旅を売る私の会社も
旅の価値を、弊社だからこそ出来る「旅の価値創造」に変換して
それを「認識」して貰うことでビジネスが成り立つ形に持っていかなければならないんじゃないか、と思っていて
言っても、「世界の田舎」のカッパドキアと言う土俵ですよ。
それこそが「価値」だと思って貰えるまでの価値創造。

この先、本当のちょっと先の未来に
生活の出費はおそらく8割がたサブスク状態になっていくんじゃ?

現在、通信(インターネット)はほぼ誰もがサブスク。
コンテンツ消費もほぼほぼサブスクが浸透してきている。
飲食も、今回のコロナ騒ぎで、キャンセルの嵐に遭う中で必死に生き残りを模索している。
その中でいくつかのレストランは不特定多数のお客様ではなく、店の価値を認めて支えてくれる常連客に特化した営業方法を展開し始めている。
ほら、これ、外食のサブスク化かもよ。
アメリカで大手スーパーの始まっているネットマーケットの流れはおそらく日本でもすぐに広がるんじゃないかしら
そしてそれがサブスク化の道を探るのもすぐな気がする。
一時期話題になった顧客向けボタン
洗濯機に洗剤メーカーのボタンを貼り付けておいて、洗剤が切れたら、そのボタンを押すとインターネットに接続されているそのボタンから通信で発注がされてすぐに洗剤が手元に届くサービス。
これだってその他多くの消耗品と掛け合わせてサブスク化出来なくないでしょう。
いちいちお財布と相談する生き方より、一定額の出費を先に想定しておいて、なんら不足のない生活が先にプランニングされているラクチンさを選ぶ消費者が多く出てくるのは自然な流れな気がする。
つーか、私はそう言うシステムがあったら積極的に利用する質だと思う。
家計の細かなやりくりに疲弊しない生き方。
もちろん、そんな収入はどこから得るんだ?
選民思想か?と
思う人がいるのも何となくわかる。
ただ、これはあくまでも私の「妄想」なので
妄想の中の未来では
お金がちゃんと回っているシステムが出来上がっている。
足るを知った社会では、記号としての収益も消費もちゃんと回ることになっている。

豪華ヨット遊びだけが幸せじゃない、と
そこに価値を求める人と、そうじゃなものに価値を見出す人が
それぞれに認め合うのであれば、価値への認識がちゃんと回っていく

マネタイズに話を戻すと
弊社の価値が認識された暁に、その価値をやり取りして収益を得たい。
世界の田舎にある旅行代理店がサブスクで何を提供出来るのか?

物流、交易はツーリズムと親和性が高い。
もとより会社立ち上げ時に、観光業と並行して貿易が出来る会社として登記もしている。
現地に住む信頼できる人からなら売り買いしたい、と言う消費者がいてもおかしくない。
そして、自分達の「消費」には責任感と幸福感が伴う「投票行為」である、と言う共通認識も生まれてくるだろうと思っていて
だったら、その責任を肩代わりして大自然のカッパドキアからその価値を提供しますよ、と言う交易をちょっと妄想している。まだ内緒。

YouTubeと言うメディアからの発信がマネタイズになるか
もちろん、それに向けて進めていこう。
そして、それが、何らかのサブスク化した収益に結び付くなら
その道を探っていくのも吝かではない。

故人が遺してくれたアドバイスをアフターコロナ的にアップデートして
一つの会社から3つ以上のタコ足マネタイズを常に並行して考えて行こう。

いつだって未来は選べる。
出来るだけ、美しい未来を目指していくべきだし
美しい未来から、今ここ、を振り返ってみる視点が何よりも大切だと思う。
時間は一方向にしか流れていない、と思っちゃいけない。
あっちこっちに飛び廻るし、逆にも流れてくる。

アッラーと、アッラーの傍にいる天使たちに伝えている。
私を幸せにしたら、私は年間2千人くらいを幸せにしようと頑張ると思うので私を幸せにすると効率がいいですよ、と心の中で祈りのプレゼンをしている。祈りが届くかどうかは今後の私の心がけ次第でしょう。
自分に正直に、周囲の幸せの為に行動し続ければ、ま、叶うんじゃないでしょうか。

妄想構想をいちいち海馬に残せる方じゃないので
ノートに残してみた。

文中10回以上「マネタイズ」と言う言葉を使ったけど
それはビジネスの駅の様なもの。
動き回る路線図には、どこかで切符を買って貰う場所を設定しておかないといけないよ、と言う意味なんざんす。なんでもかんでも金なんじゃあ、と言ってるわけではないのよ、と、そんなことも付け加えておくなり。




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