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Detour in Life 人生の道草

何かが思い通りに進んでいかない状況に苦しんでいるときは、その不安定さを手放したくてたまらない。
理解して、心の中で処理して、置きどころを見つけたい・・・

でも、ある方とお話していたら、そのプロセスは、わたしにとって大切な道草だった、そして今もそうなのかもしれないと気づかせてもらいました。

小さいころは、道草が大好きでした。
1時間の通学路を、3時間かけて帰ってきたくらいです。
おしゃべりしながら、朱い実を集めたり、イナゴを捕まえたり、流れで丸くなったガラスのかけらを拾ったり。
時には、子どもならではの危ないこともしてました。

その道草で、わたしはたくさんのことを学び、
道草しながらみた景色は、紛れもなく、わたしの人生の原風景でもあるのです。

This is a little forward for my future book. Just a piece of public practice writing that I hope to grow into a compelling story.
これは、いつか書きあげる物語の、端書きです。
まずは書き始めることと決めたので、習作として、宣言も兼ねて。


Detour in Life

Life often lets you experience hardship and loneliness, which is painful. It is so hard to get over that experience at that moment.

As you grow, however, you will find that painful time as a destined path to your happy spot.
It is a detour where you share the time with somebody as important to you as you could hurt him/her and vice versa.
It is the detour full of tears and joy.

No matter what the ending of that detour is, you learn to love yourself first so that you can learn to love that person or somebody else as a whole in a different situation or in a different timing.

Here, I will tell you some stories in which brave and beautiful souls find their way and pave the path in their life's work.

人生の道草

生きていると、なぜ自分がこんな思いをしなければならないのか、と感じることがあります。
とても痛いし、思い出したくもない。
その時間が過ぎ去るのを待つことさえ、苦しい。

でも、時が経ったとき、その経験が、いま幸せを感じる自分に至るまでの大切な道のりだったことに気づくのかもしれません。
ほんとうは大切で、大切がゆえに傷つけあってしまった誰かとの、悲しいけれど、喜びもたくさんあった、道草のような時間。

その道草のエンディングがどうだったとしても、それは、まず自分をそのままに見つめ、愛することを学んだ時間。
そしていつか、別のタイミングや違う場面で出会う相手を、その人として、愛するためのプロセス。

これからお話する物語は、そんな時間のなかで、自分の使命に気づき、道を拓いていった、すてきな魂たちが語ってくれたお話です。


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