「緑問杯 RESTART Ⅳ」優勝者手記に代えて

この度、「緑問杯 RESTART Ⅳ」で優勝させていただきました、ひまたん(細見岳)と申します。
しかしながら、ハッシュタグ #green_restart で私や参加者の皆さんがしたツイート、誤解を招いてしまうこともあったかと思いますので、文章をしたためる次第です。
会場にいた人にしか分からない雰囲気があり、どうしても言葉では伝わりきらないのにそれが伝播していく様を見ていると、コタツ記事のネットニュースに悩まされる著名人の気持ちが分かってくるような気がしてきました。

そもそも、芸能クイズが置かれている状況からお話する必要があるように思います(この文章における芸能クイズとは、2017年の「G-1グランプリ」をターニングポイントとする歴史軸に存在する、競技クイズの文脈から生まれた大会や企画を指します。芸能クイズ大会の歴史年表については、別途まとめてたいと考えています)。
兄弟ジャンルといえる「青クイズ」と並んで語られることも多い芸能クイズですが、年に何回も大会が開催され、大小あれど各地に専門のサークルが存在している青クイズとは異なり、大会は一心精進ベースで年に1,2回あればいい方で、端的にいうと芸能クイズだけを趣味にしようとするのは厳しい。
つまり、かなり限られたリソースしかない芸能クイズにおいては、開催される大会ひとつひとつが貴重なものだといえるわけです。

大会に参加するということは、大会を肯定することだそうです。その論の是非は置いておいて、大会に参加する人がいなければ、その大会は続けて開催することが難しくなるでしょう。
僕はこれまで、ジャンル全体でそのようなことにならないようにするための営みを「芸能クイズの灯を絶やさぬように」と度々表現してきました。そのための一つとして、なるべく大会には参加するようにしてきましたし、企画を打ったり、大会を開催したり、サークルを中興させたり、問題集に芸能自作を作っていれば欠かさず掲載したりしました(大会を開催するほど大きいことはしなくても、対策会を開く、自作を持ち寄る、参加する……そうした行為すら大きな寄与のひとつです)。
これはつまり居場所を作るということでもあります。オールジャンルクイズありきで芸能クイズをしている僕のような人間がいてもいいですし、そうでない人にも楽しめる場所があっていいはずだからです(もちろん、僕が楽しい場所を作ることは大前提ですが)。

「緑問杯 RESTART」は2018年1月に仙台で産声を上げ、昨日で4回目を迎えた大会です。スピンオフ企画や外伝企画も開催されたことを考えると、数少ない芸能クイズ大会のなかで、おそらく最も多くのナンバリングを数える大会であるといえます。ちなみに、同年9月に行われた第2回のWAはこんな感じ(一心精進リンク)であり、すでにこのときから難問奇問の毛色は伺えるわけですが、テレビマニアの方以外への説明は難しいですが、大発明といえるある番組のなかの一番面白いポイントを出題している良問なのです。
しかしながら2020年9月、コロナ禍のためオンラインで行われた「Ⅲ」ではさらなる難易度上昇に加え、松岡茉優に関する問題がコース別の同一ラウンド内で3問出題され、それを開き直るようなツイートがあり……という一例のほかにも多々の問題点があり、開催後のオンライン打ち上げに私は参加していませんが、そこでお叱りの声が参加者より上がったとも聞いています。
「Ⅳ」はさらにそこから3年の時を経て開催が発表されました。エントリーに際して、PDF4ページ、文字数にして6000字を超える問題傾向の発表がありました。「過度に深掘りをしない」などを謳って新しい傾向を打ち出し、これまでと異なる問題群であることを示唆するものでした。僕はその文章を読み新たな大会となることに期待していました。

そこで何が起こったか__。端的にいうと、ペーパークイズは最高点が11点/130点満点で、準決勝から決勝にかけての130問で正解が出たのは5問(うち、曜日や部活を答える問題など勘正解であると思われるものを除くと2問)というような展開が続きました。俗な用語でいうと「朗読会」です。
2Rでは問題群と参加者全員に対して出題する早立ち形式が非常にマッチしていましたし、準々決勝は勘書きに左右されすぎるきらいはあるもののそこまでは楽しくクイズをやれましたから、大会すべてに対しこの表明をするわけではありません。また、単に難問奇問が出たから怒っているというわけではありません。僕は「意味のない難問」と表現しました(Ⅳに限った話ではなく以前よりこの言葉を使っていますし、出題された問題が全てそうというわけでもありません)。(例えば中高生向けの長文大会「Never Ending Story 2022」でも決勝で正解が出ないまま幕を閉じましたが、長文の文脈において出題価値が高い問題やFunnyあるいはinterestingな問題が出題されていて、当日の雰囲気を知る由はありませんが、問題集を読み返す限り、「意味のない難問」は1問もありません。)
正直、この時間の感覚については、考えて思い出そうとできるタイプのものではないペーパーに40分向き合い、準決勝・決勝で読み続けられる130問を目の当たりにした参加者にしか分からないと思います。
難易度に限らず、ジャンルの偏りもそうです。「ミスター緑問杯」であったはずの葉脈さんは準決勝・決勝で正解することはありませんでしたが、本人曰く、得意ジャンルである地上波バラエティが(それまでのラウンドには出ていたのに)1問しか出題されていなかったとのことです。

決勝では3問正解が出ましたが、知識で正解したといえるものは松さんの1○だけでした。ここまでの超難問を揃えておきながら勘や推測で正解できる問題がコンタミする問題群になっている詰めの甘さというもの感じてしまいました(それも同じ1○だという思想を打ち出すものであれば問題ありませんが、おそらくそうではないように思います)。本来優勝すべきは松さんであり、終盤わざと誤答して3人横並びの優勝に持っていくことも考えましたが、さすがにクイズへの冒涜だと思いやめました。
また、この意思表示は決勝のインタビューに行った立場から言うべきと思っていましたし、今回の文章も優勝者として言う意味があるとも思いました。

優勝者インタビューでも、振り返りのツイートでも、「芸能クイズが終わった日」と表現しました。せいぜい「ラヴィット!が終わった日」程度のお話なので、当日いない人が芸能クイズの代表者として反応するのは、他の曜日のレギュラーがMC川島に「勝手にラヴィットを終わらせないで」と反応するようなものです。
これは初めて芸能クイズに足を踏み入れた参加者も少なからずいたなかで、この大会が芸能クイズのひとつの到達点だと思われてしまったら「終わってしまう」という意味です。前述のとおり、実際開催された回数としてはトップランナーなわけですから。
幸い、ハッシュタグで感想を追ったり、当日何人かに話を聞いた限りではそのような意見は出ておらず、杞憂であったかもしれないと胸をなで下ろしていますが、これまで皆勤参加している僕やよしのりAさんならいざ知らず、前回の問題集を読んで会場に足を運んでくれた大学生の参加者に決勝インタビューで「もう少しみんなが楽しい問題群だといいなと思いました」と言わせてどうするかという話なのです。

しかし、しかし本当に僕が伝えたいのはその強い言葉の部分ではありません。これまでⅠ、Ⅱ、Ⅲ、対策会と皆勤参加してきた僕自身がスタッフの皆さんの作問者としての力量を知っていて、Ⅳを含め大会への準備量などを推して測ることができるからこそ「悲しい」と思いましたし、この大会が素晴らしい大会を作れるはずだと知っています(例えばクイズを始めたばかりの人や難易度調整が難しい作問者の大会であれば、このようには思いませんし、感じませんし、提言もしません)。
この大会の終了後、「大会を開催してくれ!」と若者を焚き付け、「大会を開催しよう!」と友人に声を掛けました。毛色は違いますが、マッドピエロさんが大会長を務める芸能ジャンル限定長文大会「THE SHOW MUST GO ON」もコロナ禍による延期を経て、開催を予定していると聞きます。
また、夏ごろ、「第5回関西芸能クイズ会」をまたやる予定にしています。
芸能クイズが好きな方がいらっしゃれば、各々の形で芸能クイズの灯を灯し続けてください(それは大会を開くという大きなことだけではなく、企画でもサークル単位でもみん早でも、なんだったら一参加者でも一読者であるだけでもいいのです)


そして、本当にリスタートした「緑問杯 RESTART Ⅴ」が開催されることを楽しみに待っています。


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