たとえ生きていたとしても
中学の同級生で、不良の子がいた。
ひさつね君。
不良なんだけど、根は純粋な感じがして、
不良嫌いなわたしもひさつねとはよく喋った気がする。あんまり怖くなかった。
不思議と。
中2で彼女が出来て(彼女も不良っぽい子だった)その子のことが大好きで、
久恒は色気付いて香水をつけてくるようになった。
ほのかに香水の香りがするのが本来の色気なのに、ひさつねはいつもぷんぷんに香水の匂いを振り撒いていたので、
おまえくさいんだよ、なんてみんなに言われてた。わたしも言ったかも。
わたしも色気ついて、
というか病気でいつも顔色が悪かったから、
チークを塗って学校に行っていた。
そしたらひさつねが、
菊池さん、顔真っ赤じゃん!とからかった。
香水プンプン男とチーク塗りすぎ女。
別にすんごい仲良くはなかったけど、
いい同級生だったと思う。
高校に入って凄まじくグレて、
暴力団に入ったって話とか、
車上荒らしをして捕まったとか、
色んな噂を聞いていたけれど、
数年前に、自宅のアパートで亡くなってるのを発見されたって誰かが言ってて、
誰から聞いたのかも、
それが本当なのかも定かじゃないけれど、
彼はもうこの世にいないことは本当なような気がしている。
彼がこの世に生きていたとしても、
わたしは彼に会うことはもう二度となかったと思う。
だから、生きてても死んでてももう二度と合わないという点では同じなのに、
どうして時々彼のことを思い出すんだろう。
もう二度と会えなくたって困らないくらいの関係性なのに。
生きているのにもう二度と会えないかもしれない人たちのことを想う。
わたしたちはお互いの役割を終えるともう決して交わらない。
そういう人たちが何百人といる。
その人たちもひさつねと一緒でわたしにとっては死んでしまった人たちと変わらない。
さよならをした人たちはもうわたしの世界にはいない人たちなのだ。
例え彼らが生きていたとしても。
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